イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

ごみのミュージアム&庭の手入れは思考の手入れ

先回のラジオでのお話、聞き逃しサービスのリンクを貼るのをうっかり忘れていたら、

聴くことのできる期間が終わってしまったようです。すみません。

ただ、今回お話しした内容は、以下の記事と同じく、ごみの埋め立て地にあるミュージアムがテーマですので、未読の方は参考にしていただければと思います。

artscape.jp

廃棄物といえば、今年の9月から10月頭にかけて、

不在の間にジャングルと化した自宅の庭の手入れに奮闘し、

大量の枝や草を廃棄した。

 

今後もまた伸びてきたら自分たちで刈らねばと、

チェーンソーや生垣バリカン、そして

枝切り用のはしごや庭ぼうき、水やりの道具などを買い揃え、

いっそ本格的にガーデニングをするのもいいかも、

と思い始めたものの、やはり何事もそう簡単にはいかない。

 

ハチや蚊に刺されては困るので、暑くても長袖を着て、首には手ぬぐい。

すると、原因不明のアレルギーやあせもに悩まされた上、

少し露出していた肌も何かに刺されたり、かぶれたりして、

自然の勢いをコントロールするのはこんなに大変なのだ、

と思い知るはめに。

 

でも、雑草を抜いたり、枝を切ったり、落葉を掃いたりって、

けっこう夢中になれ、達成感があって楽しくもある。

そういえば中学の頃、草取りに夢中になりすぎて、

授業をすっぽかしてしまったことがあった。

 

雑草、または野生化した植物ってほんとうに自由奔放。

ツタ類なんて、「よくもまあ」と思うほど、

四方八方、かなり遠くまで旅をしに行ってしまう。

それを切ったり解いたりしていると、

「こんなに丈夫なら」と、縄を編みたくなってくる。

 

生垣も、少し放っておいただけなのに、もうぼさぼさ無造作ヘア。

個人的には、ぼさっとしている方が

とんがっていて面白いと思うのだが、

現実にはそうも言っていられない。

 

そしてふと気づいたのは、庭をすっきりさせていく過程って、

どこか創造的だな、ということ。

この株を残すか、あの株か。この枝を残すか、あの枝か。

こぼれ種で勝手に咲き誇っている花を、どれだけ手入れするか。

 

あえてありのままにして、自然派。

極限まで切ったり抜いたりしてミニマル派。

好きなように枝や花を導いて技巧派。

切り取った枝や花を花瓶に生けて、ポエム派。

 

選択しだいでがらりと様子が変わる。

考えたら、文章だって、どう語るかだけでなく、

推敲の過程でどの部分を残すかが、とても大事。

 

でも、最後にはたと気づく。

切り取るのも引き抜くのも大事だけれど、結局は、

もともとの庭の植生が豊かであることが、とても大事。

 

ということは......

脳へのインプット、頑張らなきゃ!

 

結局、庭の手入れを放り出し、

積読だらけの本棚の前に立つのでした。

ごみのミュージアムと誤解された絵具の話

いつもぎりぎりのお知らせで恐縮ですが、

明日の朝、5時台のNHKラジオの「マイあさ!」という番組の「海外マイあさだより」というコーナーで、イルクーツクのごみミュージアムについてお話しします。恐らく、5時45分前後に始まります。

 

番組では「作品としての武器」が取り上げられるのですが、

それに因んで武器にまつわる話題を一つ。

 

今回、イルクーツクからロシアの国境を越える際、何度も荷物が検知器の検査にひっかかり、係員に呼び止められた。

どうも元凶は、スラバが「日本では買えない色だから」と画材店で買っては、何本もスーツケースに入れておいた油絵具。

何に間違えられたかというと、どうも薬莢か弾丸の類らしい。

これらをロシアから持ち出されては大変、ということなのであろうが、

持ち出した後、渡す対象にどこが想定されているかは、

もちろんすぐに想像がついてしまう。

 

それにしても、色とりどりの絵具といった、

いかにも無害で平和的に見えるものが武器に間違えられるなんて。

冗談にもほどがある、とつい苦笑い。

 

とはいえ、検査員だって生活がかかっているから必死だ。

同じ空港ですでに2度、3度検査しているのに、さらに厳しく調べる。

 

一方の私たちはすでに寝ぼけモード。

空港に着いたのも、飛行機の離陸も深夜だったし、

ただでも荷物をたくさん抱えての大移動だったので、頭がクラクラしてくる。

 

何てこった、とげんなりするも、今回の道中、後で気づいたのは、

これっぽっちの苦労なんて、ほんの序の口だったということ。

先は、ほんとうに、とっても長かった……

(いつかどこかに続く)

おまけは、

雲の彼方に沈む、引き込まれるような太陽と、

中秋の湖畔にのぼる、澄みきった名月。

 

やっぱりむしはむしできない

お知らせが後回しになってしまいましたが、

昨晩深夜すぎ、つまり12日(土) 午前0時10分頃から

NHKの関西発ラジオ深夜便のアジアリポートのコーナーでお話ししました。

 

プレーヤー | NHKラジオ らじる★らじる

 

ちょっと引かれるのを覚悟で、今回は敢えて虫のお話をしました。

こういう番組では、現地特有のもの、新しい変化など、

「有る」ものを追うことが多いのですが、個人的には、そこに

「無い」ものを知ることも、じつは面白かったりします。

 

私は、それまでにシベリアで夏を過ごしていたにも関わらず、

スラバが日本でせみの声に「何なんだ!?」驚くまで、

「シベリアにはせみがいない」ことに気づきませんでした。

かぶとむしやかまきりがいないことにも。

 

ちなみに、話の内容を練っていたのは、

ちょうど草地でたくさんの蚊に刺された後のこと。

因果関係は分かりませんが、

数日後、ただの風邪とは思えない病気にかかり、

熱やら咳やら悪寒やら頭痛に悩まされ、うんうんうなりながら、

蚊にせよ、何らかのウイルスにせよ、

小さいものは漠然としている分、やっぱり怖い、

とネガティブな連想に陥ったりもしました。

 

もちろん、いずれにせよ彼らとは共存しなくてはいけないのだから、

根拠もなく心配しすぎるのは良くないんですが。

 

幸い、放送日までにだいぶ快復し、今は頭がぼうっとしているだけです。

もっとも、私の頭はいつもちょっとぼうっとしているので、

どこから病気なのか、自分でもよくわかりません。

 

ちなみに、予定通りにいけば、近々、また蚊のものすごく多い田舎に行きます。

先回の体験に懲りて、もう絶対に夏のシベリアの田舎は避けよう、

と心に決めていたのですが、

考えてみれば、蚊たちだって、いわばシベリアの古くからの住民なので、

やはり何とか、共存の方法を探るしかありません。

環境には悪いけれど、

やっぱり蚊よけスプレーで住み分けてもらうかな?

 

×××

 

最後に虫捕り関係で余談を。

 

私の周りは、基本的に文化関係者やエンジニアばかりで、

軍隊関係者はいないのですが、

軍隊にいた時についたあだ名で

呼ばれ続けている男性はけっこういます。

 

友人のコンバットもその一人。

由来は実際に昔、コンバット(大隊司令官)だったから。

 

こちらには、さびに「コンバット」という言葉の入る、有名な歌謡曲があるので、

彼が来るたびにその曲を流して面白がるのですが、

日本でコンバットというと、やはり思い浮かぶのはあの製品。

その存在感は、私などは、他に何も思い浮かばないほど。

それを思うたび、

日本の平和ぶりが何だか、ありがたく感じられます。

 

イルクーツクのごみ埋立場ミュージアム

これまで長らく寄稿してきたARTSCAPEの「FOCUS」欄に、

新たな拙稿が掲載されました。

ごみの埋め立て地がミュージアムに――文化的価値と都市のメンツのジレンマ

今回、取り上げたのは、じつにパンクで無邪気で残酷で謎めいた、

軍事マニアも平和主義者も訪れずにはいられない場所です。

 

ロシアにミュージアムは数あれど、

このミュージアムほど今、ホットでありながら、

微妙な立場にもあるミュージアムは少ないでしょう。

 

古物の展示も素晴らしかったですが、脳裏から消えないのは、

矛盾と対立と歴史の余韻を包み込みながら広がる、シベリアの草原と森林。

ちなみに、山火事がひどかったときに平原での展示を見た人は、

「空気が煙っていて、怖いほどリアル!」と感じたのだとか。

 

確かにそうでしょうが、考えたら、

異常に増えた山火事も、巨大なごみの埋立場も、

人の行いが地球を一方的に傷つけている残酷な戦場。

戦禍に苦しむ人々の悲鳴はもちろんですが、

大自然の悲鳴にも耳を傾け続けねば、

と思ったりしたのでした。

 

 

 

 

よその芝生は隣でなくても青い&ラジオで「流通」について

暑中お見舞い申し上げます。というより、酷暑お見舞い申し上げます。

 

昨日、ローマに住む古いイタリア人の友人から、

「やっぱり北欧かカナダに住みたかったな~」というメッセージが届き、

「なぜ?」と訊いたら、理由の一つは「ローマは暑いから」。

 

誰もが憧れる、3000年の古都からさえ逃げ出したくなるほど、

ヨーロッパも暑いんですね。

シベリアに遊びにおいで、と言いたいところですが、そもそも戦時中だし、

こちらも日中は30度を超えるほど暑い。

 

そんなわけで、私も気の利いた言葉が見つからず、

「でも、私たちの友人夫妻は、イタリアに憧れて、モスクワからイタリアに移り住んだばかりだよ!」

と、慰めておきました。隣の芝生は青く見えるもの。

実際は、イタリアと北欧やロシアはだいぶ離れていますが……

 

ところで、うっかりしていてすみません。、

NHKラジオマイ朝の「海外マイ朝だより」、

今朝(土曜)の放送分でも出演させていただきました。

ご興味のある方は、以下の聞き逃しサービスからどうぞ。

プレーヤー | NHKラジオ らじる★らじる

(配信は8月4日、午前4:55まで)

 

テーマは流通です。

改めて注意しながらイルクーツクの街中を歩いてみたら、

今回の話の中に出てくる、ネットショップで買った品物の「受け取りスポット」、

まさに雨後の竹の子みたいに増殖中。

マーケットプレイスのロゴが入ったバッグも頻繁に見かけるように。

 

受け取りスポットは、

カウンターとロッカーや更衣室ぐらいかないので、一見、すごく無機質。

シャッター街になるよりはいいのでしょうし、そもそも 

普及しているのは、とても便利だから。

でも何だか、イルクーツクの街のパーツが少しずつ均質化していくような、

ちょっと不気味な印象も覚えます。

 

町の風景がだんだんと似通ってくる、というのはやはり、

現代社会の抗い難い傾向なのかもしれません。

それに、酷暑の中で配達時間を気にしながら各家に配達する、

日本の配達員の方々のことを考えると、

ロシアで流行の流通の形も、ある意味では人間的な気がします。

うまくすれば、配達員の人手不足も回避できるかも?

 

追記

ちなみにこのブログを書いた直後、今年8月9日から、中古車を含む、排気量1.9リットル以上の自動車の日本からロシアへの輸入が禁止されるという情報が入ってきました。

私自身は、日本車が本格的に消えていく、ということ以上に、ウラジオストクなどで民衆の不満が募るのでは、ということの方が気になります。

 

猫が飛ぶのも懐次第

現在、ロシアに入国する日本人が、

許可なく自由にロシアに持ち込める現金は、各自10万円相当までである。

イルクーツクに半年弱は住みたいと思っているフリーランスの私たちにとって、

これはかなり厳しい条件だ。

 

もちろん、経済制裁の影響で、日本からロシアへの送金はできない。

つまり、私がいくら日本語で原稿を書いたり翻訳をしたりしても、

その収入はこちらに送れない。

となると、私たちにとっては、景気の良くない現地で絵を売るか、

副業をするしかない、ということになる。

 

そういう厳しい状況で、もう一つ立ちはだかる課題が、

ガーニャの日本行きの準備だ。

 

昨年、チップの挿入、寄生虫検査、二度の狂犬病ワクチンの接種という、

それだけでも面倒でたいへんな過程を経て、

やっとたどり着いた、抗体検査。

 

それは準備全体の前半部分のうち、最大の難関だった。

というのは検体を、鮮度を保ちながら、

モスクワの検査機関に送らねばならなかったからだ。

だいたい、まず送り方を知るために、右往左往した。

 

やっとのことで、大きめの魔法瓶に氷と検体を入れ、

検体の抽出直後に血液輸送専門の輸送業者に家に来てもらえばいいと確認。

もっとも、経済制裁で血液を送ることのできる輸送会社が限られている上、

鮮度が落ちぬよう、限られた時間内に5000キロ先のモスクワまで運ぶのだから、

当然、輸送費はたいへん高い。

 

しかも、輸送業者が自宅に集荷に来られる時間にはかなりの幅があるので、

動物病院から自宅に戻る前に来られてしまうと、すべてが無駄になる……

そういう、ハラハラドキドキ、お財布大ピンチの過程を経て、

やっと検体を送った後、返ってきた答えは……

 

二回必要な狂犬病予防ワクチンを、一回しか打てていないので、

抗体検査の結果は必要な基準を満たさない、というもの。

 

二回目は、間違って別の注射(といっても無害かつ必要なもの)をしていたらしい。

私も病院二か所も、その勘違いに気づかぬまま、抗体検査を依頼してしまったのだ。

つまり、一回目のワクチン接種から後に行った準備はすべて「水の泡」に。

 

ガーニャにかけたストレス、そして膨大な手間と時間とお金が無駄になり、

思わず頭に浮かんだのは

「三歩進んで、二歩下がる~」というメロディ。

昭和生まれなので、ここで頭に響くのはもちろん(?)

水前寺清子さんの声である。

ほんと、しあわせは歩いて来てはくれず、

汗かき、べそかき歩かなくてはならないのだ。

 

さあ、気を取り直して、今回の滞在中こそはぜひ

三歩目まで進まねば、と思っていたところ、

はなから、くじけそうになった。

狂犬病のワクチンが、経済制裁のあおりで、

先回に輪をかけて希少になっていたのだ。

 

なじみの病院にはなかったので、

ネットで見つけた動物病院をリスト化し、片っ端から電話をかける。

「狂犬病のワクチン? もう何カ月も入ってきてないよ」

といった答えに泣きそうになるが、4軒ほど当たった後、

ちょっと遠方にある病院から「ある」との返事。善は急げとばかり、

ガーニャを連れて駆け付ける。

すると、これまた難関が。

 

提示されたワクチンの価格は、日本円で1万円を超え、

一回目に接種した時の3倍以上だったのだ。

 

ガーニャには悪いが、正直、かなりひるんだ。

なぜなら、頼みの綱の絵の代金はまだ入ってきておらず、

提示された額を払えば、手持ちの金が半分以下になってしまう上

この手順の後にも、検体の抽出と送付と検査という、

この倍以上、お金がかかる準備があるからだ。

 

ふと、「諦めるなら今だ」という思いが頭をよぎる。

 

接種を前に、慣れない場所で途方に暮れているガーニャ。

この時は、飼い主も彼に負けないくらい、途方に暮れていた……

 

そもそも、もし戦争状態が完全に終わり、

経済制裁が解除され、ロシアの景気がもっと良くなれば、

私たちがもっと長めにロシアに住むことも難しくはなくなり、

ガーニャの移動の必要性はぐっと低くなるのだ。

 

先が読めないことは、それだけでつらい。

心理的にも、経済的にも。

日中戦争や文革について以前、考えた時も思ったが、

世の動乱の渦中にいる人々には、動乱そのもののつらさに加え、

それが「いつ」「どんな形で」終わるか、

まったく分からないというつらさがある。

 

先行きの見えない時にできる、せめてもの準備は、

可能な限り、選択肢を確保しておくこと。

 

ここまで来たのだから、やはり前に進もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず無題

今日、ある難しい病気を患っていた友人の、

恢復祝いをした直後、

悲鳴を上げたくなるほどショックなことが起きた。

 

家族同然の別の友人、

しかもまだ音楽学校の学生でもある若者が、

兵役の対象になってしまったという連絡が入ったのだ。

時節柄、ある程度覚悟はしていたけれど、

正直、プリゴージンショックで、うっかりしていた。

 

学生とはいえ、学徒出陣というわけではなく、

基本的にロシアで成人男子全員に課される

義務の兵役らしいのだが、

今の時期に軍隊に行かされるというのは、

やはりかなり怖いことである。

 

もちろん、スラバも私も、

そして彼のバンド仲間も落ち込んでいる。

新しい曲の録音をしている最中に、

仲間が抜けるってだけでもつらいのに、

去っていく先が軍隊だなんて。

 

それに私は知っている。

彼は天才的なミュージシャンであって、

心優しく、礼儀正しく、虫一匹殺せそうにない若者。

どう考えたって、

兵士などにはぜったいに向かない。

学生であろうとなかろうと、

戦力などにしてはいけない存在だ。

 

敬愛する与謝野晶子の有名な詩の一節がしみじみと胸にしみわたる。

確かに私は、歴史も文学も深く学びたかったけれど、こんな風にではなかった。

 

ちなみに、若者の連れ去られよう、

去年動員令が出た時はかなりひどかったらしい。

街中はまだましだったようだが、

農村部では、かなり大まかな言い方とはいえ、

「村の若者の半分がごっそり連れていかれた」

なんて言う人もいたほど。

 

志半ばで戦争の波に飲み込まれていく若者が

無数にいること。しかも

戦争が始まってから、毎日毎日生まれていること。

それを思うと、何ともいたたまれない。