イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

言葉を失っている場合じゃないが

ウクライナで戦争が始まってから、

いろいろなニュースやSNSを見ては、心落ち着かない日々を送っている。

なるべくいろいろな媒体の情報に接するようにしているが、

結局、どの情報をどこまで信じていいのか分からず、

情報欠如の闇は広がるばかりで、

立ち位置が見つからず、自分自身さえ見失いそうになる。

 

ただはっきりと感じるのは、

今回の戦争によって、いろんな形の分断が深刻化していること。

ロシア人とウクライナ人の間はもちろん、ロシア人の間でも、

世代間や、政治信条を異にする人たちの間の距離が広がっている。

 

戦争が始まるまでは目立たなかったものが、

はっきりしてきているだけなのだろうけれど。

互いが互いに抱き始めている、不信感、嫌悪感の増大は、

恐らく簡単には消えず、後を引くだろう。

 

スラバのウクライナ人のある友人は、

シェルターで連日過ごした後、

キエフの自衛組織に登録し、武器を受け取ったそうだ。

それを聞き、後ろめたさを感じつつ、

スラバの甥がロシア人の成人男子に義務づけられている兵役を

つい数か月前に終えたばかりであることにちょっとほっとする。

 

だが、戦争が長引けば、彼もいつ呼び戻されるか分からない。

戦争の歯車がいったん動き出してしまったら、

賛成派も反対派も、みな否応なく巻き込まれていく。

そして、いったん巻き込まれてしまったら、あいまいな立場は許されない。

 

それは、兵士でなくても同じ。

開戦後、SNSのつながりを絶ったウクライナ人の旧友もいるし、

ロシア人同士でウクライナ問題をめぐって口論が起き、

結局絶交してしまったという例も、ごく身近で聞いた。

 

ほんとうに、心が張り裂けそうな状況だ。

そもそもウクライナは、シベリアの住人たちにとっても、けっこう身近な国だった。

ウクライナ出身という人は多いし、

住んだことがある人、旅行したことがある人もごろごろいる。

ウクライナのことはよく知らない私でさえ、

一日だけクリミア半島の東端のケルチやアゾフ海の海辺を旅したことがある。

 

それだけ身近な国の人々が、夫の祖国、

そして私にとっても大切な国が始めた戦争のせいで、

たいへんな苦難を味わっている。

言葉を失うとは、まさにこのこと。

 

救いは、ロシア人の間でも戦争反対のデモなどが行われていることだが、

たとえ武器による戦争が終わっても、

もう戻ってこないこと、回復不能なことは、たくさんあるだろう。

あったりなかったりする人

出会ったばかりで、また別れ。

義足とのつきあいは、ちょっとじりじりさせられます。

 

なぜなら、義足というのは、

さあ、できました、

と一気に完成するわけではなくて、

立った時にふらふらしたり、ひどいガニ股になったりしないよう、

さまざまな微調整が必要。

 

というわけで、一週間穿いてやっと少し慣れたところで、

調整のためにふたたび、技師さんのところへ。

するとまた、足のない、ちょっと不便な生活に逆戻り。

 

つまり、知り合いや近所でよく会う人の目で、客観的に?自分を見てみると、

私って、

 

足があったり、なかったりする人

 

これって逆説的だけど、すごく自由な人みたい!

 

ドクタースランプ アラレちゃんみたいな、

頭があったり、なかったりする人、

ほどのインパクトはないにしても、

 

手があったり、なかったりする人、

よりは強烈かもしれない。

 

そのまま、あったりなかったりする人、の妄想シリーズは続き、

 

へそがあったりなかったりする人、

→面白いが、目立たない

 

つめがあったりなかったりする人

→けっこう足より怖いかも

 

鼻があったりなかったりする人

→文学的すぎる!

 

などなど、ほんとうにどうでもいいことをつらつら考えてしまった。

 

閑話休題

 

最後にまじめなお仕事のお話。

ちなみに、昨晩生放送でお話ししたラジオ深夜便の内容、以下のサービスで聴くことができます。

「アジアレポート」のコーナーの19分目を過ぎたところから始まります。

ラジオ深夜便 聴き逃し- NHK

私は後半ですが、前半の斎藤さんの北京レポート、いきが良くて、面白いです。

 

 

 

温帯でとこなつ体験

先日、新しい足が来た。

つまり義足ができた。

義足を着ける前と着けた後で、

近所で時々会う人の反応が違うんじゃないかと思ったが、

あっけないくらい何の反応もない。

 

足を見て、「おっ」と言われたら、

「いやあ、じつは生えて来たんですよ」

と冗談を言おうと楽しみにしていたのに、その機会はまだない。

こんなの、人生で一度あるかないかの機会なのに……

 

と、そんなどうでもいいことは置いておいて、

 

ここずっと面白く思っているのが、

人生で初めて、温帯気候の冬を過ごしている、

シベリアっ子の夫の反応。

 

家の中では寒がってばかりいるのに、

外に散歩に出ると、10度を切る温度でも、

「まったく楽園だ」

「暑いぞ!」

「もう初夏みたいだ」

などと、嬉しそうに言っている。

 

そういう感想ばかり聞いていると、

自分まで常夏の国にいるような気がしてきて、何だか愉快だ。

私が、零下20度なんて当たり前の

シベリアの冬を最初に過ごした時と同じくらいの驚きを、

きっと今、味わっているのだろう。

 

シベリアっ子にとっては、

冬に家の庭でみかんが実っていることはもちろん、

冬に外で花が咲いていることも、

かなりびっくりすることなのだ。

 

でも静岡県人としてはそもそも、

庭にみかんがなっているだけで、

「おおおー」と驚かれること自体が、

けっこうな驚き。

 

とはいえ、物は見よう。

見慣れた温帯の冬を、

冷帯に住む人の目で眺め直してみると、

ひだまりの明るさや温もりが、

ちょっと非日常的にありがたく感じられたりして。

 

狂ったり、狂わせたりの季節感

カルチャーショックならぬ、気候ショック。

人ってほんと、

さまざまな環境を

さまざまに生きている。

 

供養された足の話

しばらくブログが開店休業状態になってしまいました。

あまりにドラマチックなネタに遭遇すると、

慎重になって、どこから書こうかと考えあぐねてしまうのです。

 

手っ取り早く状況を紹介すると、昨年末に持病の足の手術をし、

右足をばっさり切りました。

戦争映画を観過ぎたせいか、

足を切るなんて、野戦病院でもできるような、

シンプルな手術かと思っていたのです。

ところがどっこい、

病院でいろいろと話を聞いてみると、

それなりにあれこれリスクがあったようで、

自分の呑気さにあきれながら、手術日の朝を迎えました。

 

足を切るというと、すごく大ごとのように感じる人が多いようで、

「究極の選択」と言われたりもしましたが、

長年右足の疾患に煩わされてきた者としては、

生まれてこの方、生活や旅をともにしてきた右足には悪いけれど、

正直、ちょっとすっきりした気分です。

 

足を切ったら、体重も減るよね、ダイエットしなくても。

なんてブラックジョークを言ったりして。

 

身体障碍者というカテゴリーに自分を置くことに、

今までも、あまりしっくりこなかったのですが、

じっさいに身障者「ど真ん中」になってみると、

ますますしっくりきません。

実際には、100パーセントそうなのに。

 

そもそも、身障者かどうか、というカテゴリーは、

人を分類するカテゴリーのうちの、たった一つに過ぎないのに、

人は、何かそれで多くのことが決まるように、考えがち。

 

それに、身体上の異常というものは、

誰でも多かれ少なかれ抱えていて、

それがどこから「障害」になるか、というのは、

人それぞれでもあります。

 

私のように、肉体労働をしておらず、

スポーツマンでもなく、

若い頃から少しずつ足の不便に慣れていて、

それを人生の一部にすることにも慣れている人間にとっては、

足を切ったとしても、拍子抜けするほど、何も生活は変わらないのです。

 

もちろん、義足がない間は、

生活上の不便も少なからずあるのですが、

もともとせっかちな性格でもないので、

そうイライラすることもなく、

平穏に毎日が過ぎています。

 

ちょっとスプラッターな話になりますが、

興味を覚えたのは、切った足の行き先。

お医者さんに「切った足を見られますか」と聞いたら、

それは無理で、自動的に供養をして火葬とのこと。

 

供養ということは、仏式なのでしょう。

ということは、切られた足に、信仰の自由は及ばない、ということです。

つまり、本人がクリスチャンであろうと、ムスリムであろうと、

足だけは先に極楽浄土に行ってしまう。

 

これは何だか興味深い。

かりに、「供養」というのが、無宗教的なものだったとしても、

信仰を選べないという点では同じです。

そうなると、ちょっと大げさに言えば、

身体を切る障害者は、身をもって

宗教の壁を越えねばならない宿命を負っているのかも。

 

そんなわけで、手術の後、

極楽浄土に行ったと信じたい私の足に、

覚悟をこめて、祈りを捧げたのでした。

 

 

 

 

 

新年のご挨拶&ラジオでロシアの遊びの話

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久々に、今年は年賀状を送りました。

「時代に逆行、アナログ大作戦」

と、勝手に盛り上がり、以前お世話になっていて、

連絡先が手元にある方々に次々と送ったのですが、

 

昨年末は、足の大きな手術をするために入院中で、

手元にすべてのアドレス帳がなかったこと、

そして病床にあったことなどが重なり、

ちょっと中途半端に終わってしまったのが残念です。

 

でも、よく考えれば、今どきハガキにこだわれば、

受け取る方も、気を遣って面倒なはず。

というわけで、来年も継続するかどうかは未定です。

 

お知らせをうっかりしていましたが、今朝、5時43分頃から、

NHKラジオの「マイあさ!」という番組で

ロシアのクリスマスや、この時期ならではの遊びなどについてお話ししました。

以下の聞き逃しサービスで1月15日の午前5:55まで聴くことができます。

占いの話題が最後に出てきますが、

ロシアの人の占い好きは、私が最初にロシアを訪れた時、すでに痛感しました。

ハバロフスクで泊まった宿がケーブルテレビ代を払っていなかったため、

テレビは無料チャンネルしか観られなかったのですが、そのチャンネルで

独特の甲高い声をもつ占い師のおばさんが、延々と占いをしていたからです。

テレビを通じて、現地のロシア語に触れようと、意気込んでいた私は、

その長く聴くと頭が痛くなりそうな声に、げんなりしたのでした。

 

でも今はむしろ、もう一度そのチャンネルを観てみたい気持ちです。

大きなジャンプや飛躍的な進歩は難しくても、

気分を入れ直し、初心に戻ることはいつでもできる。

ロシア語の研鑽についても、つねにそうありたい。

 

足の手術も、運よく術後の経過は順調なので、

これを機に、今年は生まれ変わった気分で、

物事に取り組もうと思います。

雑誌『小説導熱体』に投稿

細々とですが、胡同関係の執筆、まだ続けています。
10月末に刊行された『小説導熱体』第4号に、短編一篇の翻訳と、
エッセイ「【中国の街角】東四四条・翻訳を通じた文人たちの対話」が掲載されました。