イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

QRコードおじさん

先回、ラジオでお話ししたように、

現在、イルクーツクを含むロシアの都市では、

ワクチン接種済みを示すQRコードなどがないと、

大型の公共施設や商業施設、

および食品や医薬品以外を売る店に入れない、

というシステムの導入が進んでいる。

 

となると、こういう困った情況が生まれる、

子供を遊園地や映画館などに連れていきたくても、

親がワクチン接種を受けていないと、連れていけない。

子供に関しては、QRコードは必要ないので、

連れていけないのは純粋に親の責任だ。

 

その結果、モスクワで現れたのが、

QRコードをもつ大人に、子供の同伴を頼めるというビジネス。

つまり、すでにワクチン接種を終えてQRコードを取得している、

いわば「QRコードおじさん」、「QRコードおばさん」が、

子供の親の依頼を受け、公共娯楽施設の入り口で子供を預かっては、

子供と一緒に施設に入り、

子供が楽しんでいる間、見守った後、

遊び終わって子供が満足したら、

一緒に外に出て、子供を親に返す、という仕組みらしい。

 

折しも、コロナ禍によって職を失ったり、

収入が減ったりした人が多いこともあって、

一日に30000ルーブル稼ぐことも可能な、

このQRコードおじさん&おばさんビジネスは、

けっこう人気があるのだそう。

 

需要があるところには、供給がある。

制度があれば対策がある。

こういう柔軟さ、何だか中国の近さを感じて、興味深い。

 

それにしても、QRおじさん&おばさん、

ただQRコードがあるだけでは駄目で、

ちゃんと子守もできねばならないわけだから、

けっこう責任は重い。

 

でも、ただQRコードのためだけに雇われるよりは、

やりがいがあるだろう。

だって、さもなくば人間でありながら、

まるでレジに並ぶ商品や入館証のカードケースさながら。

人間にQRコードがつく時代だってだけでも十分皮肉なのに、

自分の価値がQRコードオンリーになるなんて、あんまりだ。

 

それにしても、まさかと思っていたディストピア。

じつはそう遠くはなくて、予行演習は、もう始まっているのかも。

 

 

 

 

聞き逃しサービスのお知らせ

11月5日の晩にお話しした内容ですが、以下の「聞き逃しサービス」で聴けるようです。

「ラジオ深夜便」は、以下のページの2つ目の録音の冒頭から2分後くらいから、

https://www.nhk.or.jp/shinyabin/k5.html

6日早朝に放送された「マイあさ」は、以下のページの43分目ぐらい?から始まるようです。

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=5642_06_3738488

「深夜便」は少しまじめなコロナ対策や民間療法についての話題、「マイあさ」はもう少し軽い「お茶の文化」についての話題なので、

ご興味に合わせてぜひどうぞ。

 

ラジオ出演のお知らせ

今晩、深夜0時10分から、NHK「関西発ラジオ深夜便」の「アジアリポート」というコーナーでシベリアのお茶についてお話しします。

また、明くる早朝5時44分からも「マイあさ!」という番組の「海外マイあさだより」というコーナーで最近のイルクーツクと民間療法についてお話しします。

 

 

包帯も適材適所

事情があって、包帯をよく使う。

よく使うので、よく買う。

じつは最初にロシアを訪れたときに驚いたのが、

薬局で売られている包帯の質だった。

 

たいていの品物の質の悪さには動じない私もつい、

これを「包帯」と呼ぶなんて恥ずかしくないのか?

と思ってしまうレベル。

 

何せ、使おうとして巻いてあるものをほどくと、

端がボロボロとほどけてきて、からまってしまう。

へんなところが縫い合わされていて、最後までほどけないこともある。

 

だが、安物には安物の長所がある。

それはあまりにボロボロなので、再利用が無理だということ。

使い捨てるのは心痛むが、手軽だし、衛生的でもある。

 

日本の伸縮包帯だと、こうはいかない。

質が良い分、もったいなさすぎて、使い捨てにできない。

衛生面を考えれば、使い回しはあまりよくないのだが。

 

どんなものにも、それなりの価値がある。

大事なのは、適材に適所を与えること。

小さなロシアの包帯を見るたびに、

私はつい、そんな大げさなことを思ってしまう。

 

 

 

コラム更新のお知らせと大陸を横断しなかった麺のお話

集広舎のホームページに連載中のコラムが更新されました。

ロシアの広さを知る《シベリア鉄道の旅》その2|集広舎

細かすぎて盛り込めなかった話題もいくつかあり、

その一つがハバロフスクのラーメン文化の成熟ぶり。

 

日本とほとんど変わらない味のラーメンが食べられるだけでなく、

ちゃんと激辛ブームにまで乗っており、

さすがでした。

ちなみにこちらはラーメン屋さんを飾っていたキツネ。

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さらに今日はこちらのウイグル料理店でも、麺文化のパワーを再認識。

欧風のカフェのようなこじゃれた店内は、

とてもとてもウイグル料理店とは信じがたく、

実際に出てきたのも、

うーん、これ本当にウイグル料理なのかな? と言いたくなるような、

中華料理と微妙にミックスされた料理だったのですが、

麵だけはばっちりウイグル風。

 

そして、その麺が引力の重心のように、

あんまりウイグル風に見えない要素もぐぐっとねじ伏せて、

ウイグル料理の枠に引っ張り込み、

すべてを「それらしく」させていたのでした。

 

昔、新疆ウイグル自治区で初めてラグマンを最初に食べた時は、

アジア風のスパゲッティだと思ったものですが、

その後、マルコポーロが中国からイタリアに伝えた麺文化が

スパゲッティに発展したという説は否定されたとのことで、

大陸横断というダイナミックなイメージを、

麺文化にも重ねてみたかった者としては、

ちょっと残念に思ったりもします。

 

 

ゆうれい広告

我が家の近所には、

ちょっと中途半端な空間がある。

 

そこは、

曲がり角の見晴らしを良くするためにしては

ちょっと広すぎるけれど、

休憩用の場所でもなさそうだし、

そもそもベンチも花壇もない。

 

集合住宅の壁に優雅な影を落とす、

一本の木が生えているだけで、

それ以外は草が茂っているだけ。

 

何か用途がありそうでなさそうな、

いわば無駄な場所だけど、

それがあるお陰で、

街の中心部にちょっとした緩さが生まれていて、

そう悪くないと思っていた。

 

それが先日、ふっと謎の霧が晴れた。

じつはここには昔、

かなり大きな広告塔が立っていたのだそうだ。

何年もそこに堂々と立っていたものの、

ある日、ひょんなことから

それがまったく違法であることが判明した。

 

何年も街の真ん中にありながら、

誰もそれが違法だと気づかなかったというのも、

へええーという感じだけれど、

さらに驚いたのは、逃げ足の速さ。

 

違法だとバレたとたん、

長年、堂々と費用を徴収していた偽の広告業者はドロン。

 

結局、今に至るまで、

誰が看板を建てたのかも、

広告費の行方も不明なのだとか。

 

何だか、中国の地方都市なんかでもありそうな話だけれど、

イルクーツクでは場所が場所だけに、

広告塔はよっぽどそれらしく立っていたのだろう。

何だか、超ベテランの詐欺師みたいだ。

 

怪しく、妖しい、ゆうれい広告。

空間をワープして、もしかしたら

今はまったく別の場所に現れているのかも?

 

 

 

 

 

 

夏の傷を癒す秋

正確な言い回しは思い出せないのだが、

「自然に『異常』ということはないんだよ」とこちらの人が言っていて、

頷かされたことがあった。

確かに、人にとっては異常な災害をもたらす嵐や洪水も、

大自然にとっては、「自然」なことだ。

だがそれでも、今年のシベリアの自然は多難だったと思う。

 

まず深刻だったのは、記録的な規模に及んだ山火事。

私たちが8月上旬に空路でハバロフスクからイルクーツクに向かった時も、

サハ共和国で起きた森林火災のばい煙のせいで、

飛行機がイルクーツク空港に着陸できず、

1000キロ先のクラスノヤルスクに不時着した。

 

不時着で1000キロ先だなんて!と、

火事および大陸のスケールの大きさに驚く。

 

かねてから、クラスノヤルスクは訪れてみたい街だったけれど、

べつに空港の椅子で寝泊まりしたかったわけではないので、

ちょっと残念な初訪問に。

 

翌日、飛行機がふたたびイルクーツク空港に向かった時も、

着陸直前まで滑走路が見えないほどの煙たさにハラハラさせられる。

無事着いた時は、乗客の間で自然と、パイロットを称える拍手が起きた。

 

じつは一昨日、イルクーツク州で、

やはり濃霧による視界不良によって、小型の旅客機が墜落した。

そのニュースを耳にした時、心痛めると同時に、

改めてあの日、無事着陸できたことに感謝した。

 

話を元に戻すと、

多くの航路がマヒし、空港が待機者で溢れ返ったほど、

今年の山火事はひどく、

「まだ燃えているらしい」と聞くたび、私の気持ちは沈んだ。

重要な二酸化炭素吸収源であるタイガの大規模な焼失は、

環境への影響も地球規模であるだけに、そら恐ろしくもなった。

 

でも、それほど悲惨な喪失があっても、

森の木々たちは嘆いたり悲しんだりなどせず、

夏が終わるやいなや、

せっせと秋の装いをまといはじめる。

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その、うまずたゆまず、できることをするだけ、といった落ち着きぶりは、

人の心を静かに揺さぶる。

ずいぶん勝手な感動ではあるのだけれど。

 

もちろん、人間の方はそんなに落ち着いてちゃだめなはずなので、

こういったインパクトある看板を目にすると、ちょっとほっとする。

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ところで、今年、異常だったのは火災だけでない。

それに続いた降雨も少なからぬ水害につながり、

アンガラ川の氾濫によって、川の中州にあった家の多くや、

岸に近いショッピングモールが冠水した。

 

今に至ってもアンガラ川の水位は高く、

地面もじめっと冷たい。

ジャガイモが大量に腐ってしまったとかで、

自家菜園をやっている人たちは収穫の悪さを嘆いているし、

川岸の木も根が水に浸かってしまうなど、

イルクーツクは何かとまだ「水びたし」だ。

 

いわば火責め水責めだった、今年のシベリア。

秋の黄金色の爽やかさは気分を晴らしてくれるけれど、

今後のことを思うと、心はやっぱりざわざわしてしまう。

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