書き出すときりがなくなりそうで怖いのだが、
この夏はじつに忙しかった。
まずは、「ロシア人にはビザの発給を停止」という情況の中での、
夫を伴っての、強行突破ともいえる帰国。
もちろん、公的な医療保険に入れない身分でロシアに住みつつも、
2年間をぶじ何とか過ごせた幸運に感謝はしているし、
それをできるだけ維持できれば良かったとも思う。
しかし、2年もたつとさすがに持病の方に心配な兆候がいろいろと出てくる。
これ、放っといていいんだろうか、と心配になり、
何とか夫のビザを出してもらって帰国した。
つまり、帰国後の自主隔離期間が過ぎ、
自由に動ける身になった時、最初に始めたのは「ザ・通院」。
でもじつは、自由に動けない間も、ずっと家の掃除やら片づけをしていた。
実家、といっても私は高校3年時の一年ちょっとしか住んでいないのだが、
その家には、家族の長い生活で堆積されたものが、
押し入れやらクローゼットやらタンスといった,
大小の洞窟の中にたくさん埋まっており、
中には、とっくに捨てられたと思っていた、驚くほど古いものもあって、
片付けは、さながらお宝探しのようだった。
だが、お宝探しには苦労がつきものだ。
なんといっても、かつて最大で8人だったこともある家族が、
さまざまに形態を変えながら、
半世紀ほど暮らしてきた、その痕跡そのものをたどるのだ。
薬箱だけを数えても、4つもある、というありさま。
もちろん、薬箱に入りきれなかった薬品も山ほどあり、
すでに期限が切れて久しいそれらを、
分別して捨てるだけでも、半日はかかる大仕事だった。
人の暮らしがこれほどまでに「薬まみれ」とは、と脱力感に見舞われながら、
続々と見つかるムヒ、キンカン、ヨードチンキ、正露丸などなどを容赦なく捨てつつ、
周囲にみなぎる、強烈な匂いの中で、奇妙な懐かしさに誘われる。
匂いって、ふだん、精確に思い出すのは難しいけれど、
意識の底に何気なく眠っていて、
いったん刺激されると、いろいろな記憶を呼び起こすもの。
あくまでもふだんは「いざというとき」のためのものである薬箱が、
じつはちょっとした歴史の流れも体現していることに、しんみりする。
社会史という意味でも、
家族のごくプライベートで、
ときには触れるのがちょっとためらわれるような、
罹病の歴史という意味でも。
しかも、
「あの時、こんな病気したなあ、こんなケガもしたなあ」といった「痛い」記憶は、往々にして、家族史の中で、ハイライトとはいかないまでも、
アンダーラインぐらいはつけたくなるような、
忘れ難いエピソードを伴っていたりするものだ。
そんなこんなで、日本で迎えた久々の夏は、
キンカンやムヒのむせ返る香りのなかで、
ごくしみじみと、ノスタルジックに始まったのでした。