イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

夢の中の額縁

この間見た夢。

 

夢の世界で額縁を作っていたのだが、それが複雑な額縁で、なかなか完成できない。

それで、「悪いけど作り終えるまでは目を覚ませないの」って、

すでに起きている画家の夫に必死で弁明。

 

目を覚ました時、何か、意識の奥底から引きずり出されたようだった。

単にすごく眠り続けたかっただけだろう。

 

それにしても、額縁は夢の中だとしたら、絵は現実の世界にあるのに、

どうやって絵を飾るつもりだったのか。

 

こんな夢を見たのは、助手モードから作り手モードへの

転換期にあるからかな。

 

でも、額縁だけが夢の世界にある絵というのも、

すごく面白そう。

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ここまで書いたところで、イルクーツクでは珍しくない、弱い地震。

まるで、今いる次元まで揺れ動いたみたい。

 

奏でたいのは異国の調べ

先日、NHKラジオ『マイあさ!』でお話しした内容、
以下の聞き逃しサービスで聴けるようです。
5時42分頃から始まるかと思います。
(配信は9月11日の午前4:55まで
 
最後に、リスナーが親しみを感じやすいかな、と思い、
趣味でバヤンを練習していることを告白してしまったのですが、
じつはよく考えてみると、実際に自分が今練習してるのは、
よくイメージされるようなロシア民謡ではなく、
もっと広い範囲の音楽だったりします。
 
バヤンは、ロシアの民族音楽にとどまらず、
いろいろな曲を弾くのに適した楽器だからです。
 
性格がひねくれているのか、
バヤンでロシア民謡を弾くのは
「いかにも」すぎるような気がして、
民謡系をあえて避けている面もあります。
 
まだ、好き嫌いで曲を選べるほどのレベルでもないのに……。
 
でも、趣味の世界だもの。
好きにやればいいよね。
ひねくれているおかげで、
バヤン用への編曲の必要がでてきたり、
運指をより必死に考えなければならなくなったりと、
面倒はすごく多いのだけれど、
何だかものすごく「自由」。
 
ただ、バヤンという楽器、そしてこの種の「自由」の魅力に、
もっと早くから出会っていたら、
必要な技や知識をもっとたくさん学べたのに、と
心から残念に思ったりもします。
 
40代の手習いの哀しさ、かも。
 

NHKラジオ『マイあさ!』に出演 テーマはシベリアっ子の趣味

またうっかりしていてすみません。本日4日の朝、5時42分頃から、NHKラジオ『マイあさ!』の「マイあさだより」というコーナーで、シベリアっ子の趣味などについてお話しします。

最後、ちょっぴり勇気を出してみましたが、

じつはこれには、オチがあります。

 

 

『シベリア・イルクーツク生活日記』

久しぶりとなってしまいましたが、集広舎のサイトに連載中の、

『シベリア・イルクーツク生活日記』が更新されました。

ロシアの広さを知る《シベリア鉄道の旅》その1|集広舎

 

ぼやけているので、連載には使えなかったのですが、ウラン・ウデの像とはこれです。

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ギネス記録だそうで、かなりの迫力でしたが、

私は隣の食堂でしれっとお昼を食べてしまいました。

 

やはり、途中駅も、ホームから見るだけでなく、このウラン・ウデの旅のように、

一つ一つ駅舎を出て、周囲を歩いてみたかった。

せっかくシベリア鉄道のほぼ真ん中あたりに住んでいるのだから、

もっと鉄道の旅を楽しまなくては。

 

ちなみに、個人的にはロシアでも中国でも、三等寝台がお勧めです。

個室全部を知り合いだけで利用できるならともかく、

見知らぬ人と個室を長く共有するのは、

その人と気が合った場合は楽しいでしょうが、

合わなければちとつらい。

 

これを書いてから、さらにマゴチャにとりつかれ、

昨日は一日マゴチャのことを考えていました。

 

人はなぜ、ある土地を選んで住もうと思うのだろう。

家族がいるから?仕事があるから?食べ物がおいしいから?住み心地がいいから?

でも、すべてがあっても、その土地を去る人はいる。

何もないのに、その土地に住む人もいる。

人間って、ほんと複雑な生き物だ。

 

 

 

「場」と「機会」のアート~スラバ・カロッテの個展『トランスアジア☆イルクーツク☆浜松☆エクスプレス』を振り返って

あまりに駆け足すぎたので、

今では夢だったように感じてしまうのだが、

 

この夏の帰国で貴重だったのは、地元浜松で、

夫のスラバ・カロッテの個展を開けたことだった。

slavacarotte.com

 

最初からいつ、どこでと具体的に決めていた訳ではない。

だが、いったん場所を決めてしまうと、その場所の都合によって、

自然といろいろなことが決まっていった。

何事も最初の一歩が大事、というのは本当だ。

 

スラバにとっては日本で初の個展であり、

私にとっても、展覧会の全面的なサポートは初めて。

これまで美術の展覧会は山ほど訪れたが、

サポートといえば、記事を書くか通訳ぐらいだったからだ。

 

初めての試みというのは、

たいへんだけど新たに得るものも大きい。

 

まずは、18歳で出てしまった後、けっこう疎くなっていた地元の再発見。

地元でクリエイティブな活動をしている人々との再会や新たな出会い、

そして彼らからのたいへん貴重で大きなサポート。

宣伝を分担してくれた方々の心温まる援助。

一から人と作品が出会う「機会」や「場」を作る緊張感や楽しさ。

そして、展覧会を訪れてくれた旧友や恩師、先輩そして初めて出会った方々との、

かけがえのない交流。

なかには、30年以上会っていなかった幼馴染との、驚きの再会も!!!

 

インターネット空間が発達したおかげで、

作品の発表という点に関してはずいぶん便利な世の中になったけれど、

今回の試みを経て、やはり、

あるリアルな「場所」を用意し、そこで人々がコピーではない、

オリジナルな作品に出会える「機会」を作ることには、

独特の意味があるのだ、と信じることができた。

リアルの展覧会を開く、つまり

作品と出会う場や機会を作っていくということは、それ自体が創造的な行為なのだ。

 

かといって、とくに誰もが驚くような、

特別なことをしたわけではない。

でも、

観られる「場」や「機会」と結びついたとき、

作品がぐっと輝きはじめる、

その瞬間を自ら目にできたことは、貴重だった。

もちろん、より良くできたはず、という反省は、

いくらしてもしきれないのだけれど。

 

最後になりましたが、

新型コロナの流行や猛暑という二重の壁があった中、

オリンピック観戦も脇に置き、

展覧会の実施を助けてくださったり、

展覧会に来てくださったり、

花束やお祝いの言葉をくださったりした方々に、

改めて心から感謝の言葉を捧げます。

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ラジオ深夜便・アジアレポート

今晩、21日(土) 午前0時10分頃から、NHKラジオ「関西発ラジオ深夜便」のアジアレポートというコーナーで、シベリアの森林火災などについてお話しします。興味とお時間のある方はぜひどうぞ。

キンカンの強烈な香りの中で

書き出すときりがなくなりそうで怖いのだが、

この夏はじつに忙しかった。

 

まずは、「ロシア人にはビザの発給を停止」という情況の中での、

夫を伴っての、強行突破ともいえる帰国。

 

もちろん、公的な医療保険に入れない身分でロシアに住みつつも、

2年間をぶじ何とか過ごせた幸運に感謝はしているし、

それをできるだけ維持できれば良かったとも思う。

 

しかし、2年もたつとさすがに持病の方に心配な兆候がいろいろと出てくる。

これ、放っといていいんだろうか、と心配になり、

何とか夫のビザを出してもらって帰国した。

つまり、帰国後の自主隔離期間が過ぎ、

自由に動ける身になった時、最初に始めたのは「ザ・通院」。

 

でもじつは、自由に動けない間も、ずっと家の掃除やら片づけをしていた。

実家、といっても私は高校3年時の一年ちょっとしか住んでいないのだが、

その家には、家族の長い生活で堆積されたものが、

押し入れやらクローゼットやらタンスといった,

大小の洞窟の中にたくさん埋まっており、

中には、とっくに捨てられたと思っていた、驚くほど古いものもあって、

片付けは、さながらお宝探しのようだった。

 

だが、お宝探しには苦労がつきものだ。

なんといっても、かつて最大で8人だったこともある家族が、

さまざまに形態を変えながら、

半世紀ほど暮らしてきた、その痕跡そのものをたどるのだ。

 

薬箱だけを数えても、4つもある、というありさま。

 

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最古の一つ

 

もちろん、薬箱に入りきれなかった薬品も山ほどあり、

すでに期限が切れて久しいそれらを、

分別して捨てるだけでも、半日はかかる大仕事だった。

 

人の暮らしがこれほどまでに「薬まみれ」とは、と脱力感に見舞われながら、

続々と見つかるムヒ、キンカン、ヨードチンキ、正露丸などなどを容赦なく捨てつつ、

周囲にみなぎる、強烈な匂いの中で、奇妙な懐かしさに誘われる。

 

匂いって、ふだん、精確に思い出すのは難しいけれど、

意識の底に何気なく眠っていて、

いったん刺激されると、いろいろな記憶を呼び起こすもの。

 

あくまでもふだんは「いざというとき」のためのものである薬箱が、

じつはちょっとした歴史の流れも体現していることに、しんみりする。

社会史という意味でも、

家族のごくプライベートで、

ときには触れるのがちょっとためらわれるような、

罹病の歴史という意味でも。

 

しかも、

「あの時、こんな病気したなあ、こんなケガもしたなあ」といった「痛い」記憶は、往々にして、家族史の中で、ハイライトとはいかないまでも、

アンダーラインぐらいはつけたくなるような、

忘れ難いエピソードを伴っていたりするものだ。

 

そんなこんなで、日本で迎えた久々の夏は、

キンカンやムヒのむせ返る香りのなかで、

ごくしみじみと、ノスタルジックに始まったのでした。