イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

キンカンの強烈な香りの中で

書き出すときりがなくなりそうで怖いのだが、

この夏はじつに忙しかった。

 

まずは、「ロシア人にはビザの発給を停止」という情況の中での、

夫を伴っての、強行突破ともいえる帰国。

 

もちろん、公的な医療保険に入れない身分でロシアに住みつつも、

2年間をぶじ何とか過ごせた幸運に感謝はしているし、

それをできるだけ維持できれば良かったとも思う。

 

しかし、2年もたつとさすがに持病の方に心配な兆候がいろいろと出てくる。

これ、放っといていいんだろうか、と心配になり、

何とか夫のビザを出してもらって帰国した。

つまり、帰国後の自主隔離期間が過ぎ、

自由に動ける身になった時、最初に始めたのは「ザ・通院」。

 

でもじつは、自由に動けない間も、ずっと家の掃除やら片づけをしていた。

実家、といっても私は高校3年時の一年ちょっとしか住んでいないのだが、

その家には、家族の長い生活で堆積されたものが、

押し入れやらクローゼットやらタンスといった,

大小の洞窟の中にたくさん埋まっており、

中には、とっくに捨てられたと思っていた、驚くほど古いものもあって、

片付けは、さながらお宝探しのようだった。

 

だが、お宝探しには苦労がつきものだ。

なんといっても、かつて最大で8人だったこともある家族が、

さまざまに形態を変えながら、

半世紀ほど暮らしてきた、その痕跡そのものをたどるのだ。

 

薬箱だけを数えても、4つもある、というありさま。

 

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最古の一つ

 

もちろん、薬箱に入りきれなかった薬品も山ほどあり、

すでに期限が切れて久しいそれらを、

分別して捨てるだけでも、半日はかかる大仕事だった。

 

人の暮らしがこれほどまでに「薬まみれ」とは、と脱力感に見舞われながら、

続々と見つかるムヒ、キンカン、ヨードチンキ、正露丸などなどを容赦なく捨てつつ、

周囲にみなぎる、強烈な匂いの中で、奇妙な懐かしさに誘われる。

 

匂いって、ふだん、精確に思い出すのは難しいけれど、

意識の底に何気なく眠っていて、

いったん刺激されると、いろいろな記憶を呼び起こすもの。

 

あくまでもふだんは「いざというとき」のためのものである薬箱が、

じつはちょっとした歴史の流れも体現していることに、しんみりする。

社会史という意味でも、

家族のごくプライベートで、

ときには触れるのがちょっとためらわれるような、

罹病の歴史という意味でも。

 

しかも、

「あの時、こんな病気したなあ、こんなケガもしたなあ」といった「痛い」記憶は、往々にして、家族史の中で、ハイライトとはいかないまでも、

アンダーラインぐらいはつけたくなるような、

忘れ難いエピソードを伴っていたりするものだ。

 

そんなこんなで、日本で迎えた久々の夏は、

キンカンやムヒのむせ返る香りのなかで、

ごくしみじみと、ノスタルジックに始まったのでした。