イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

イルクーツクの奇景 結晶編+スラバ・カロッテ作品のインターネット展示atイニシャルギャラリー

自然の造形が、至近距離で鑑賞できてしまうのが、シベリアの冬。

朝、これを見て感激していたら、

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夜、奇跡のようなレベルの結晶が現れ、打ちのめされた。

これ

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と、これを

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別々に見つけたとしても、十分奇跡なのに、

この二つがつながって、鳥の翼のようになっていたのだ。

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 じつはこの窓の前では、

とてもきれいな色の羽をもった五色ヒワが暮らしているのだが、

リアルの小鳥も腰を抜かすゴージャス翼!

 

それはともかく、

ずっと計画を温めていたスラバの日本での展覧会。

リアルの空間で実現するのはまだちょっと難しそう。

そもそも、作家自身がなかなか日本に行けないのだから、仕方ない。

 

でも幸い、東京在住の友人の助けを得て、

イニシャルギャラリーというインターネットギャラリーで、

スラバの日本を描いた作品の一部の展示が始まった。

■一覧ページ
https://ig.initialsite.com/
■公開ページ
https://ig.initialsite.com/work/?id=gz9u62one7
https://ig.initialsite.com/work/?id=8wz7fdqg56
https://ig.initialsite.com/work/?id=n8lk9eg3wo
https://ig.initialsite.com/work/?id=b87046aw1o
■プロフィールページ
https://ig.initialsite.com/artist/?id=sm24bkjuq5

作品は4点だけだけれど、

いわば日本で初めてのミニ展覧会。

 

そんなタイミングに、鳥の翼がわが家に現れたのは、

何だか幸先が良さそうで、素直にすごく嬉しい。

 

じつは私の方でも、

来年こそ、また自著を一冊、と思っている。

さて、作品たち

どこまで飛んでいくだろうか。

 

 

 

 

 

ツリーつらつら

新年を迎える準備、着々と進行中。

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お祭りって存在は浮かれ者だけど正直者。

とくに期日はしっかりすぎるほど守ってくれる。

 

ロシアのクリスマスは1月7日なので、

年内締め切りの仕事を抱えていると、

この風景がもたらす焦りは、正直、

日本でツリーを見た時とは比べ物にならない。

 

ああ、クリスマスを心から楽しめたのはいつの頃までか。

もちろん、今年は健康で家族と迎えられれば、

それだけで十分に幸せ者なのだけれど。

 

私の母はクリスマスツリーが大好きで、

毎年、いろいろなオーナメントをぶら下げるのを楽しみにしていた。

だが私の方は、成長するにつれ、勉強や仕事の忙しさが増し、

たとえ家族と何とか合流できた年でも、

母がツリーを飾るのをあまり手伝えなかった。

 

年末に会うこと自体が難しかった時期もある。

それでもせめて晩年ぐらいは、

飾るのを手伝えばよかった、と今でも心残り。

 

でも、歳を重ねていくなか、毎年変わらず

クリスマスツリーを飾るのを愛せた母の人生は、

時間に追われすぎない、

けっこう幸せな人生だったのでは、とふと思う。

 

いや、私もツリーは好きなのだけれど、

クリスマス前ぎりぎりにならないと

感慨を覚えて見惚れたりする余裕がないのだ。

 

でもロシアでは、カソリックのクリスマスから

元旦にクリスマスも祝ったソ連時代の遺風、

そして、正教のクリスマスがほぼ一週間ごとにやってくるので、

ツリーは年末年始、三回脚光をあびる。

 

毎年、設置に数百万ルーブルはかかると言われている、

キーロフ広場のツリーを、

人々がそれなりに受け入れているのも、

ツリーが主役になれる時期の長さを思うと、

そこまで高くはついていないと感じられるからかもしれない。

 

何はともあれ、

それだけ存在感がたっぷりなら、

さすがに、じっくりと長く楽しめそうなものだが、

なかなかそうもいかないのが、

今年の難しいところ(涙)。

 

 

(こっそり独り言)酒は人生にとって何なのか

酔っぱらいにどう対処するか。

それは、ロシアで不可欠の知識だ。

いや、ロシア全土というわけではなく、

シベリアがとくに、なのかもしれないが、

とにかく、ちまたにのん兵衛が多く、

有り金をすべてお酒につぎ込み、

昼から酒盛りをしている人が山ほどいる。

 

飲むと人が変わったり、べろべろになったり、

所かまわず眠ってしまったりする人が、

冗談でないほどたくさんいて、

赤ら顔で通りを歩いている人なんて、

ちょっと失礼な言い方ではあるものの、

「掃いて捨てる」ほどいる。

 

そんな人たちが家にひょっこりやって来て、

飲み会が始まれば、

もう覚悟を固めるのみ。

 

まず、空腹で飲まれてたいへんなことにならぬよう、

こってりした食べ物を用意し、

「そんなの要らないよ」と言われようと、

最初は誰も箸をつけそうになくとも、

めげずにテーブルに並べる。

 

たいてい、1時間後くらいにテーブルを見ると、

すっかりなくなっていたりするので、無駄ではない。

 

そして、のん兵衛たちが騒ごうとわめこうと、

さりげなく、無理をせず、

工事中の交通整理のごとく適所へと流し、

ボトルが空になった頃合いに、さっと紅茶を用意したり、

タクシーを呼ぶよう促したりする。

これは基本のキ。

 

それでも、どこまでも酩酊の海の底に沈まれてしまい、

つっぷしていびきを立て始めたら、もう観念。

明日は明日の風が吹く。

風邪をひかせないよう注意して、

明日は穏やかな日になるという希望を捨てず、

平常心を保つのみ。

 

それはそうとして、

一番の問題は自分の家族の健康をどう守るかだ。

夫は長らく、酒類を自主的に制限している。

でも勧められれば、飲みたがる。

その夫が「ウォッカを飲む気満々」でやって来た知り合いから、

飲み干すよう勧められた時。

それは戦いの時だ。

 

私が少しでも止めるそぶりをみせると、

何でだめなんだ、

飲むのはロシアの文化だ、

大事な記念日(こちらは記念日がてんこもり)なのに、

俺との祝杯を拒むのか、

と、まるで人格を否定されたかのように

のたまう人がとても多くて、対処に困る。

 

さすがに私はウォッカを強制されることはないが、

夫は断るのが何倍もたいへん。

いくら「私たちはウォッカは飲まないと決めている」と言っても、

他の、度数がちょっと低いだけの酒を、

「これは弱いお酒だから」と勧めてきたり、

「ウォッカは他の酒より体にいいんだから」論を

強引に展開し始める人がいたりして、

反論にエネルギーが必要になる。

 

でも、どのお酒をどれくらいまで飲むのがふさわしいか、は百人百様。

それに、ウォッカが体にいいということを実証してくれた友人はまだいない。

むしろ、ウォッカを飲む勢いがとまらなくて、

早死にしてしまった人が、私の周りだけでもここ一年で3人もいる。

 

どこが体にいいんだ、こんなにバタバタ人が死んでいるのに、

と納得できない、やるせない気持ちがつのるばかり。

 

もちろん、必死でお酒への依存を断ち切ろうとしている人もいて、

必要な薬を注射して、「飲んだら死んでしまう」状況に自分を追い込み、

治療している人もいたりする。

  

飲むときは浴びるほど飲み、

それを反省して飲まないと決めた時は一滴も飲まない、という風に、

両極端の間を時計の振り子のように行き来している人も少なくない。

 

映画などをみると、よく断酒をしたいアルコール中毒者が集って、

自分の体験を語る反省会を開いていたりするが、そもそも、

こちらでは知り合いや友人が数人集まるだけで、

それが簡単に開けてしまいそうだ。

 

飲むにしても飲まないにしても、

自分の時間なのだから、基本的にどう使ってもいいはずだけれど、

酔っている時にできることって、やっぱり限られてくる。

飲むこと自体が趣味ならともかく、

他にやりたいことがある人が、

限られたことしかできなくなるのは、やはり惜しい。

 

私についていえば、

新しい創作のアイディアやそのおおまかな構成を考えたり、

といったことはほろ酔い状態でもできる。でも、

そこに宿す複雑な思考を練ったり、

細かなディテールを論理的につめていくのは難しい。

 

それはさておき、私の場合、

ルーティンというか、単調な仕事をするときは、

むしろ頭が鈍っている方が楽だったりするのはなぜだろう。

 

ご飯を食べるために我慢してやっているお仕事、

自分を殺してでもやり遂げなければならない仕事、

そういうことをする時、頭が冴えわたっていると、

けっこう気が散ってつらい。

多少寝不足の頭の時のほうが、かえって仕事が進んだりする。

 

ってことは、人(あるいは私だけ?)は、

義務やノルマやルーティンをストレスなくこなすために、

頭が冴えてほしくないときもあるということだ。

 

つまり、今たまたま私が、

アルコール(さすがにウォッカではない)を片手に、

日本風に言えば残業にあたるような、

昼間に終えられなかった仕事を黙々とこなしている、ということも、

あくまで仕事を終えるためのことだと言えば、

何とか許されるだろうか。

 

裏を返せば、

飲めば飲むほど地獄にのめり込んでいくようなのん兵衛たちは、

そんなに自分の仕事(あえて人生とは言わないが)がつまらないんだろうか。

ううむ、謎だ。

 

 

 

イルクーツクの奇景 タイムトラベル編 消えてしまった世界最大級

ずっと前から話には聞いていたけれど、

ただ聞くことしかできず、残念に思っていたもの。

それはかつてイルクーツクにあったけど、

その後、壊されてしまったといわれる、

世界最大のティーポット。

 

そんなものがあったなんて、

さすが、かつて中国からヨーロッパまで茶を運ぶティーロードの

主要な中継地点だった街だけのことはある、と思いつつも、

その雄姿は写真でもビデオでも見ることができずにいた。

 

そんななか、ある白黒のドキュメンタリーフィルムの中で、いよいよ発見!

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(他の画像が見つからないので、あえてスチールを拝借させていただくことに)

 

モニュメントとしてのティーポットについては、

これよりずっと大きなものがすでに中国で話題になっている模様。

一方のこちらはもう少し生活感があって、

何だか実際にお茶を淹れられそう。

でも、じっさいに注ぐとなると十人がかり?

 

かの秀吉も真っ青?の

スケールの大きなお茶会が開けそうで、空想を誘うけれど、

よく見るとカップは一つだけ。

つまりこれらは怪力の持ち主や巨人のためにあるのだ。

 

そうなると、どうしても頭に浮かぶのは、

キノコを食べたアリスや、巨人の王国を訪れたガリヴァー。

 

壮大なティーロードをめぐる空想の旅の中継点で、

お茶を楽しむことにかけては一流のイギリスで育まれた、

スケールの大きなファンタジーに誘われるのは、

何だか二重に愉快だ。 

 

イルクーツクの奇景 浜松的ガソリンスタンド編

夫のスラバは、私の実家がある浜松がとても好きだ。

恥ずかしながら、たぶん私以上に。

帰省時、彼と一緒に浜松をめぐることで、

新たに見つかった魅力は多い。

 

ある秋の日、ステッカー大好きのスラバから

「バイクに貼るから浜松の市章入りのステッカーを作って!」

と頼まれたので、

まあ、ロシアで貼るのならいいだろうと思い、

インターネット上の画像を使って作ってみた。

 

でも何といっても市の公式のロゴだ。

アクセサリー的に貼った方が無難だろう、と思ったので、

「貼る場所は一緒に決めようね!」

と釘を刺しておいた。

 

でも、ステッカーができたとたん、

「バイクも洗わなくちゃいけないし」

と言いながらスラバは駐車場へと飛び出していってしまった。

 

その後、ちょっぴり心をざわつかせながらバイクのところに行ってみると、

「わーおー!!」と叫びたくなるくらい不安は命中していた。

ステッカーはバイクのど真ん中に貼られていたのだ。

思わず、

「市の職員の車みたい!!」

と、市の職員がどんな車に乗っているかなんて知らないくせに、

叫んでしまう。

 

でもいたく気に入っているスラバをがっかりさせるのも忍びなく、

そのままドライブへ。

「まずはガソリンを入れよう」

ということで、一番近所のガソリンスタンドに入る。

 

するとまたまた

「あああー!!」と叫ぶことに。

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ガソリンスタンドのロゴと、浜松市の市章がそっくりだったのだ。

どっちが先にできたかは不明だったが、つい、

こんなところにも浜松ファンが??

と何だか得体のしれない縁を感じることに。

 

ちなみに、我が家のバイクは、インターネットで中古車を注文したもので、

送られてきたとき、偶然、

生産地が浜松(正確には浜松に編入される前の可美村)だったので驚いたのだった。

 

はるばる浜松からシベリアの町までやってきた後、

浜松ゆかりの主のもとで、

浜松的ロゴを貼られ、

浜松的?ガソリンスタンドでガソリンを補給されている我らがバイク。

 

イルクーツクの道の状態は正直言ってあんまり良くないけれど、

でこぼこも最近は少しずつ減ってきているので、

ぜひ長生きしてね。

 

 

 

おおらかで多様な住宅事情

集広舎に連載中の『シベリア・イルクーツク生活日記』を更新しました。

shukousha.com

三つ子の魂、百まで、といいますが、

住むところが変わっても、関心がもてるものは、なかなか変わらないようです。

 

自然災害、建物のデザイン、街の美観、文化遺産、インフラ整備、福利厚生などなどの、

どのような面に重点を置くかによって、いろいろな意見がありうるのでしょうが、

私はおおむね、自然に息をしているような、イルクーツクの街並みが好きです。

もちろん、残念な面もいっぱいあって、

残してくれたらよかったのに、と思う建物はたくさんあるのですが、

保護の動きもちゃんとあります。

それらについては、

これからの原稿で取り上げていけたら、と思っています。

 

 

 

 

バイカル湖岸鉄道についてラジオでおしゃべり

明日10月24日早朝の5時46分前後から、

NHKラジオ「マイあさ!」という番組の「海外マイあさだより」というコーナーで、バイカル湖岸鉄道の旅についてお話しします。

マイあさ! - NHK

朝なので、幽霊話は出てきませんが、

早起きが苦手な方でも、

追って聞き逃しサービスなどでも聞けるかと思いますので、

バイカル湖や鉄道などに興味をお持ちの方はぜひ!