イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

(こっそり独り言)酒は人生にとって何なのか

酔っぱらいにどう対処するか。

それは、ロシアで不可欠の知識だ。

いや、ロシア全土というわけではなく、

シベリアがとくに、なのかもしれないが、

とにかく、ちまたにのん兵衛が多く、

有り金をすべてお酒につぎ込み、

昼から酒盛りをしている人が山ほどいる。

 

飲むと人が変わったり、べろべろになったり、

所かまわず眠ってしまったりする人が、

冗談でないほどたくさんいて、

赤ら顔で通りを歩いている人なんて、

ちょっと失礼な言い方ではあるものの、

「掃いて捨てる」ほどいる。

 

そんな人たちが家にひょっこりやって来て、

飲み会が始まれば、

もう覚悟を固めるのみ。

 

まず、空腹で飲まれてたいへんなことにならぬよう、

こってりした食べ物を用意し、

「そんなの要らないよ」と言われようと、

最初は誰も箸をつけそうになくとも、

めげずにテーブルに並べる。

 

たいてい、1時間後くらいにテーブルを見ると、

すっかりなくなっていたりするので、無駄ではない。

 

そして、のん兵衛たちが騒ごうとわめこうと、

さりげなく、無理をせず、

工事中の交通整理のごとく適所へと流し、

ボトルが空になった頃合いに、さっと紅茶を用意したり、

タクシーを呼ぶよう促したりする。

これは基本のキ。

 

それでも、どこまでも酩酊の海の底に沈まれてしまい、

つっぷしていびきを立て始めたら、もう観念。

明日は明日の風が吹く。

風邪をひかせないよう注意して、

明日は穏やかな日になるという希望を捨てず、

平常心を保つのみ。

 

それはそうとして、

一番の問題は自分の家族の健康をどう守るかだ。

夫は長らく、酒類を自主的に制限している。

でも勧められれば、飲みたがる。

その夫が「ウォッカを飲む気満々」でやって来た知り合いから、

飲み干すよう勧められた時。

それは戦いの時だ。

 

私が少しでも止めるそぶりをみせると、

何でだめなんだ、

飲むのはロシアの文化だ、

大事な記念日(こちらは記念日がてんこもり)なのに、

俺との祝杯を拒むのか、

と、まるで人格を否定されたかのように

のたまう人がとても多くて、対処に困る。

 

さすがに私はウォッカを強制されることはないが、

夫は断るのが何倍もたいへん。

いくら「私たちはウォッカは飲まないと決めている」と言っても、

他の、度数がちょっと低いだけの酒を、

「これは弱いお酒だから」と勧めてきたり、

「ウォッカは他の酒より体にいいんだから」論を

強引に展開し始める人がいたりして、

反論にエネルギーが必要になる。

 

でも、どのお酒をどれくらいまで飲むのがふさわしいか、は百人百様。

それに、ウォッカが体にいいということを実証してくれた友人はまだいない。

むしろ、ウォッカを飲む勢いがとまらなくて、

早死にしてしまった人が、私の周りだけでもここ一年で3人もいる。

 

どこが体にいいんだ、こんなにバタバタ人が死んでいるのに、

と納得できない、やるせない気持ちがつのるばかり。

 

もちろん、必死でお酒への依存を断ち切ろうとしている人もいて、

必要な薬を注射して、「飲んだら死んでしまう」状況に自分を追い込み、

治療している人もいたりする。

  

飲むときは浴びるほど飲み、

それを反省して飲まないと決めた時は一滴も飲まない、という風に、

両極端の間を時計の振り子のように行き来している人も少なくない。

 

映画などをみると、よく断酒をしたいアルコール中毒者が集って、

自分の体験を語る反省会を開いていたりするが、そもそも、

こちらでは知り合いや友人が数人集まるだけで、

それが簡単に開けてしまいそうだ。

 

飲むにしても飲まないにしても、

自分の時間なのだから、基本的にどう使ってもいいはずだけれど、

酔っている時にできることって、やっぱり限られてくる。

飲むこと自体が趣味ならともかく、

他にやりたいことがある人が、

限られたことしかできなくなるのは、やはり惜しい。

 

私についていえば、

新しい創作のアイディアやそのおおまかな構成を考えたり、

といったことはほろ酔い状態でもできる。でも、

そこに宿す複雑な思考を練ったり、

細かなディテールを論理的につめていくのは難しい。

 

それはさておき、私の場合、

ルーティンというか、単調な仕事をするときは、

むしろ頭が鈍っている方が楽だったりするのはなぜだろう。

 

ご飯を食べるために我慢してやっているお仕事、

自分を殺してでもやり遂げなければならない仕事、

そういうことをする時、頭が冴えわたっていると、

けっこう気が散ってつらい。

多少寝不足の頭の時のほうが、かえって仕事が進んだりする。

 

ってことは、人(あるいは私だけ?)は、

義務やノルマやルーティンをストレスなくこなすために、

頭が冴えてほしくないときもあるということだ。

 

つまり、今たまたま私が、

アルコール(さすがにウォッカではない)を片手に、

日本風に言えば残業にあたるような、

昼間に終えられなかった仕事を黙々とこなしている、ということも、

あくまで仕事を終えるためのことだと言えば、

何とか許されるだろうか。

 

裏を返せば、

飲めば飲むほど地獄にのめり込んでいくようなのん兵衛たちは、

そんなに自分の仕事(あえて人生とは言わないが)がつまらないんだろうか。

ううむ、謎だ。