イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

しぶとく即物的なマテリアル・ワールド

これは、現実の世界の話だ。SFでも、ディストピア小説でもなく、

ただ、普通のスーパーで起きていること。

抜け穴があるのか、在庫処分をしているのか、イルクーツクに戻ってからも、

スーパーの棚にはまだまだ外国産の商品があり、意外に思っていたのだが、

最近はさすがに、乳製品やコーヒーなどの食品から日用品まで、慣れ親しんだ外国産の品物が少しずつスーパーから消えていっている。

よく買っていたトイレットペーパーのブランドまで撤退すると聞いた時は、

思わずため息をついた。

棚はすぐに、ロシアや中国のブランドの代替品で埋まるのだが、

それらは微妙に開けにくい容器だったりする。

聞いた話では、商品の中には、中身はロシア産でも、パッケージは日本をはじめとする外国産に頼ってきたものが少なくないからだそうだ。

だからロシアに戻ったばかりの頃は「缶詰ひとつ自分の国では作れていなかったとは!」という驚きがロシアの友人たちの間で広がっていた。

ソ連時代の印象から、基本的にロシアは自分たちで何でも作れる国だ、と思っていた人が多かったのだろう。

コカ・コーラの撤退により、コーラまでロシア産、中国産などの代替品が登場したので、普段はコーラを飲まない私まで、好奇心から飲み比べてみたりした。

ロシア産コーラは、人工甘味料的な甘さが微妙に強くて、ちょっと懐かしい味がした。

 

一方、アルコール類やお茶は、まだまだ外国産が売られている。

商人というのはたくましい。どこかで商品が欠けていれば、べつのどこかから必死で運んできて、付加価値をつけて売る。

つまり、イルクーツクについて言えば、

外国ブランドの商品に不足があればあるほど、

それを自国から陸路で運ぶことのできる、中国やモンゴルの商人が儲かる、ということだ。

 

モスクワでは、マクドナルドやスターバックスが撤退し、

違う名前のブランドが引き継いだというが、

そもそもイルクーツクはマクドナルドもスターバックスもない空白地帯なので、

この点はあまり影響を受けていない。

 

どういうわけかKFCはあるが、こちらは相変わらず人でごった返している。

農村からはるばる出てきた人々にとってはいまだに観光地の一つだからだ。

つまり農村地帯に住む、ごく普通の人々の大半は、

何も深くは考えてはいない、ということだろう。

 

これだけの経済制裁を受けていながら、

不買運動がほとんど起きていないのも、不思議だ。

かつて中国で反日運動が起きた時だって、ここまで無関心ではなかった。

当時は、日本車は肩身の狭い思いをしていたし、

盛んに繰り広げられる反日デモを見物しにきた野次馬たちは、

日本製のカメラでデモを撮影していたりしたものの、

さすがにその大半はブランド名をテープで隠していた。

 

唯一疑わしかったのは、スラバがロスマンズのタバコを買っていた時、

レジで後ろに並んでいたおじいさんが、

「なぜロスマンズなんだ、何でなんだ?」

と、尋ねてきたこと。

それを私は彼の口調からの印象で、

「うーん、それは哲学的な質問ですね」

と答えて、かわしてしまった。

そもそもロシア製のタバコはどこでも売っているわけではないから、

国産を買えという意味ではないだろうと思ったのだ。

スラバも、「美味しいのかどうか気になってただけじゃないかな」とのこと。

というわけで、今でも、あの質問の意味は謎である。

 

ちなみに最近、近所で売られているタバコに、

JTIのマークがついている割合が高くなっている。

JTはロシアでの事業の展開を一時的に停止しているはずなので、

どういうわけなのか、よく分からない。

まさか、シベリアはロシアではないのだろうか?

 

政治の世界と商売の世界は別、というのはよくあることなのだろうが、

「経済制裁っていったい何?」と思うことしばしばの、今日この頃。

地元産が増えるチーズ売り場などを見ていると、

地産地消が進むという意味では、

プラスの効果も小さくない気がしてしまう。

 

もちろん、返り血を浴びることを恐れず、

戦火に頼らずにロシアの暴挙を止めようという

諸外国の志には感謝しているのだけれど。