イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

#7日間ブックカバーチャレンジ おまけで猫#bookcoverchallenge 3日目、 ヘニング・マンケル『リガの犬たち』

#7日間ブックカバーチャレンジ おまけで猫#bookcoverchallenge
3日目は
ヘニング・マンケル作、柳沢由実子訳『リガの犬たち』(創元推理文庫)

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こちらも推理小説です。

ヘニング・マンケルの本は、児童文学も含め、これまで読んだものも全部面白かったけれど、こちらはベルリンの壁崩壊直後のスウェーデンやバルト諸国が舞台で、ソ連をめぐる当時の国際情勢も盛り込まれているせいか、何だか今の自分の環境とつながっているように感じられました。まだスウェーデンにもリガにも行ったことがないのに…。


印象に残ったのは、主人公ヴァランダー刑事がリガのダンスホールに入った時、人々がABBAの音楽に合わせて賑やかに踊っていたという、当時ならいかにもありそうなシーン。
スウェーデンの作家としては、ぜひ入れたかったのでしょうが、さらりと書いてあるだけなのが粋です。

#7日間ブックカバーチャレンジ おまけで猫#bookcoverchallenge 二日目、『ファンドーリンの捜査ファイル リヴァイアサン号殺人事件』

 

 先回に続き、二日目の今日は、

ボリス・アクーニン作、沼野恭子訳

『ファンドーリンの捜査ファイル リヴァイアサン号殺人事件』

(岩波書店)

 

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ボリス・アクーニンは日本通で、そのペンネームは日本語の「悪人」に由来する、

という豆知識は前からあったけれども、実際に読んだのはこの本が初めて。

作者が日本通であることは、内容からも伝わってくる。

舞台は19世紀末。

推理小説としての面白さのなかに、当時のヨーロッパとアジアの人的交流、

さらには国家間の利益争いまでが風刺的に盛り込まれていて、暗示的。

個人的には、

こういう本を原語で、辞書などに頼らずスイスイ読めるくらい

ロシア語をきちんとマスターしたい、という欲が出てきた、

という意味でもありがたい本だった。

でも、その前にアクーニンの全作品が日本語訳されてしまったら、

怠けてしまうかも。

アクーニンさん、ぜひとも長生きして、たくさん本を書いてください。

 

#7日間ブックカバーチャレンジ( おまけで猫) ミカエル・ニエミ作、岩本正恵訳『世界の果てのビートルズ』

今流行っているらしき、#7日間ブックカバーチャレンジ 、
バトンを受け取った者は毎日一冊ずつ、本のカバーをアップし、
さらにそのアクションをバトンとして他の人にまわす、というもののようですが、
北京時代にお世話になった大先輩ライター、原口純子さんからお誘いいただいたので、バトンを引き継ぐことにしました。
 
ロシアという、国際郵便事情がきわめて悪い国にいるので、
今、身の回りにある本から、比較的読みやすいものを選ぶつもりですが、
いずれも
北京→モスクワ→イルクーツク(受け取れず送り返されて)→モスクワ→北京→浜松(数を大幅に減らして)→イルクーツク
という長旅を経て届いた、ウルトラ強運の本たちです。
 
まず、一冊目は、
ミカエル・ニエミ作、岩本正恵訳『世界の果てのビートルズ』(新潮社刊)

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田舎町でロックバンドを結成する少年たちの青春模様が描かれているのですが、
脳内世界を再現したような、幻想的な場面が何度も出てきます。
舞台の村はスウェーデンでありながらフィンランド語圏で、ロシアも近いからか、
超絶豪快なウォッカの飲みっぷりや、自虐度満点のサウナ浴の描写などから、
ロシア文化との近さも感じました。
 
昨年夏にシベリア鉄道で大陸を横断した時に読んだ本なのですが、
旅行中、ヘルシンキで再会したスウェーデンの親友の話では、
今、この本の舞台になっている「スウェーデンの北の果ての寒村」は、
この本の大ヒットのお陰でかなり観光客を集めており、
本に出てくる料理を出す店などもできて、けっこう賑やかだ、
ということでした。
やっぱり、本の力っていろんな意味ですごいかも。

緑のイルクーツクとモップ猫とラジオテキスト5月号の「商売で『動く』」

イルクーツクは、いよいよライラックも咲いて、春満開。

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でも、シベリアの春は、緑のみずみずしさがやっぱり目に染みる。

たとえば、中庭の緑、

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公園の小径を縁取る緑

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建物に寄り添う緑

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猫が戸惑う緑

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はしごと並ぶ緑

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モスコビッチ412まで緑!

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 話はちょっと変わって、

入れ物によって形を変える猫は、

まるで水。

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そして、ルンバも顔負けの。

最強移動モップ。

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つまり、こちらはエコの緑?

 

最後にお知らせです。

現在販売中のNHKラジオテキスト『まいにち中国語』に寄稿させていただいている口絵&巻末エッセイ「『乗り』ものがたり」、

試し読みは口絵のみで恐縮ですが、

5月号のテーマは「商売で『動く』」です。

これもじつは人力が多くて「緑色(エコ)」かも。

 

春は川辺、春は猫

昼間は初夏のような気温になっても、なかなか春の花が見られず、

彩りに乏しかったイルクーツク。

でも最近はさすがに、いかにも春らしい表情になり、

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アンガラ川の岸辺の「氷の上に行くのは危険」という看板も、

役目をすっかり終えてバカンス。

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雨が降ると、花たちも次々とつぼみがほころび、

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散歩やサイクリングが楽しい季節に。

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とくに川辺は、自然の柔らかさが際立って感じられる。

 

日本のお彼岸のように、こちらにも春にお墓参りをする風習があり、

私たちも今日、ロシア風のクレープ、ブリヌイを準備して、

スラバのおばあさんや親戚のお墓に、ご挨拶に行ってきた。

お彼岸におはぎが不可欠であるように、ロシアの墓参はブリヌイが欠かせない。

 

じつは今年に入ってから、わけあって何度も墓参をしているが、

雪解け水が消え、木々の緑も若々しい今の時期は、確かに墓参りには最適。

体が芯から凍えた冬の野辺送りや、ぬかるみに足がとられた初春の墓参を思い出し、

いっそう春のありがたみを感じる。

 

我が家に関しては、

猫が二重窓の間でまったりとくつろぎ始めた時も、

春を感じるひととき。

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そして最後に、先回のおまけ。

コロナ禍の今は、国の中だけでなく、

国と国の関係までぎくしゃくしていたりしますが、

我が家の猫は、外交も平和的です。

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コロナ禍の中のイルクーツク

今年から連載を始めさせていただいた、集広舎のサイトの

シベリア・イルクーツク生活日記という連載で、

新型コロナ対策が始まってからのイルクーツクの状況について書いてみました。

ちなみに、対策については、

タイガーバームを鼻の穴に塗るとか、

お酒でのどや胃を消毒するとか、

守護してくれる「お札」を作るとかいった、

さまざまな「民間療法」も、

私の周りでは試みられています。

 

もちろん冗談半分ですが、

酒の飲みすぎ以外は、害もないものばかり。

危機をそういうジョークや心やすめで乗り切る知恵は、

ウイルス予防というよりは、むしろ心の健康のために、

大事なのだろうと思う毎日です。

 

冬の寒さが厳しいシベリアでは、

家にこもることに慣れている人は多そうですが、

それでも自宅待機の長期化がもたらすストレスは社会問題になっているらしく、

家庭内の不和が高じて、マンションの高層階の窓から

家具などが大量に投げ捨てられた事件などが、ニュースで話題になっています。

 

街で知り合いに会った時の挨拶までが、

「まだ殺し合ってないの?」

といった、ブラックジョークだったりします。

 

でもさいわい、我が家は人も動物も平和です。

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パスハの後の気づき

先日、4月19日は、ロシアの復活大祭、「パスハ」だった。

東方正教会以外のキリスト教やユダヤ教では、

4月12月が復活祭、つまりイースターだったのでちょっとややこしいが、

これはロシアの東方正教会が別の暦に基づいて祭日を決めるためらしい。

 

今年は、だいぶこちらでの生活に慣れてきたこともあり、

私も少し、パスハの風習を実践してみた。

まずこの日、人々は

「ハリストス復活!」

「実に復活!」

という挨拶を交わす。

そこで、私も倣ってご挨拶。

 

食べ物に関しては、まだまだこちらの伝統的な食卓はまねできないが、

やはり伝統に従って、クリーチという甘い筒状のパンや、

ゆで卵に色や柄をつけたものを飾ったりしてみた。

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卵に飾りをつける風習は、昔ミシガンに住んでいた頃に楽しんだ記憶もあり、

かねてから、とても楽しみにしていた。

そこで今回はスーパーで売っていたお手軽キット?を使ってチャレンジ。

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絵の描かれたセロファンをゆで卵に巻き、

沸騰している湯に3秒浸けると、

あっという間にセロファンが卵にくっついて、

花柄の卵が出来上がる、というもの。

何だか食べ物に見えないし、

あんまり簡単すぎて、ズルしている気持ちにもなったが、

からくりは面白い。

 

ちなみにこちらでは、パスハの卵を食べるさい、ちょっとしたゲームを楽しむ。

二人の人間が、卵を各自手に取ってぶつけ合い、

殻が壊れなかった方が勝者として、壊れた方、

つまり敗者の額に卵をぶつけるというものだ。

勝者は卵の殻が壊れるまで敗者の額に卵をぶつけるのが決まりだが、

今年は幸か不幸か、殻の固い健康な(?)卵を買ってしまったので、

負けた時、額が痛かった。

 

クリーチの方も自分で焼いてみたかったが、

コロナ禍のせいで、あまりあちこち買い物に行けないので、

焼き型を見つけることができなかった。

というわけで、来年の課題ということにし、市販品で間に合わせる。

でも、来年チャレンジできることがあるのは、何だかワクワクできていい。

 

もちろん、来年だってうまく焼けるとは限らないが、

こういうちょっとした目標が、

自宅こもりきり生活を、明るくしてくれるし、

来年への想像力を掻き立ててくれて、元気がでる。

 

本当は、この日に行われる教会の典礼も観に行きたかったが、

さすがにコロナ禍で断念。

教会の参拝者には、高齢者も多いから、

やはり感染予防の方が大事だ。

ちなみに、以下はちょっと変わった形をした、自宅近くの正教会。

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なんか積み木を重ねたようで、面白い。

 

歴史を振り返ると、ロシア革命後は、

ロシア各地でこういった教会がいくつも壊され、

イコンなどもかなり損壊を被ったらしい。

ソ連時代は、教会の壁には何も掛けられず、

建物そのものも、住宅や他の施設に転用されたりしたのだとか。

そういえば、北京でも似たような話を耳にした。

 

でも教会の建物はソ連崩壊後、少しずつ再建、修復されているし、

イコンなども、修復師の献身的な努力によって、息を吹き返したりしている。

 教会側が信者らに家に持ち帰らせたことで、奇跡的に保存されたものもあるという。

 

人々のそういうたゆまぬ努力を経て保存、修復されたイコンなどを目にすると、

若い頃から自分が、キリスト教に限らず、

古い宗教美術の作品が放っているオーラに惹かれてやまなかった理由が、

改めて分かる気がする。

つまりきっと、人が信心を糧につなげてきた時間が、

もともと神々しい存在を、

さらに別の次元の崇高さへと導いているように見えるのだ。

 

夜、星空を見上げると、

自分の存在の小ささを感じて、気が遠くなるのと同じように、

古いイコンや仏像などを見ると、

長い時間軸の中での、自分の人生のはかなさに気づく。

 

そしてきっと、伝統的な風習を守るという行為も、

それに近い意味をもつのだろう。

大昔から人々が続けてきた風習を自分も繰り返してみると、

どこか、自分の人生を尺で量っているような気がする。

そして、無限大に長い尺の中で、

自分の人生が占めている目盛りのあまりの小ささに、愕然とする。

 

そういう思いに駆られると、恐れ多いことなのかもしれないが、

キリスト教において、イエス・キリストの誕生や復活が重要な祭日となっていることにも、

人間の個々の人生史と結びついた、深い意味が感じられてくる。

 

来年のパスハまで、また一年。

やっぱり、あんまり漠然と生きていちゃだめだ。