イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

聞き逃しサービスで配信中

先日、NHKラジオ深夜便でお話した内容が、以下のサービス

で聴けるようです。

ご興味があれば、「7月18日午前12:10放送」の個所をクリックしていただければ、幸いです。配信は27日の午前11:00までだそうです。

私の担当部分は、12時25分過ぎぐらいから始まるかと思います。

 

冗談のような本当のことたち

最近、冗談のようなことが立て続けに起きている。

時事ネタでもあるので、取り急ぎ古くならないうちに、ということで、

箇条書きでごめんなさい。

 

その1

日本でも、医療関係者の待遇悪化が問題になっているけれど、

それはイルクーツクでも同じらしく、

私がかつて通っていた近所の病院では、経営悪化によって、

お医者さんがみんな解雇されてしまった。

この衝撃的なニュースを告げたテレビの画面には、

私がお世話になっていた先生も映っていて、ショック。

先生、本当にお世話になりました。

ぜひ早く次の職場が見つかりますように。

 

その2

ハバロフスク地方の知事が、過去に殺人を犯していたとして、逮捕された。

ビジネス関係の知人、3人の殺人に関与していたという。

でも、ハバロフスクから来た間接の友人によると、

「コロナ対策もしっかりやっていたし、ちゃんとした知事だったよ」

とのこと。

そこで、ハバロフスクでは、知事の釈放のための署名活動やデモが起きているという。

ハバロフスクはロシア体験の第一歩を踏み出した思い出深い土地。

一日も早い安定を祈るばかり。

 

その3

昨日のけっしてそこまでひどいと思わなかった雨の影響で、

イルクーツクの街の半分の家が今、停電しているらしい。

 

おまけで、プライベート編

 

公共工事の影響による、温水供給の停止はまだ絶賛続行中。

でもさすがに1週間ほどたつと、

お風呂なしの生活に懲りてしまい、

「公共サウナに行こう!」ということになった。

サウナといっても、いわば日本の銭湯のような感覚のお風呂屋さんで、

以前行ったら、よく行っている八百屋さんの店主カップルと出会い、

「こんばんは」とあいさつ、なんてことも。

 

そういった、「お隣さん」感覚の、行きなれたサウナなのだが、

実際の距離はちょっと遠い。

そのため、バスかタクシーで行くのが常なのだが、

思いもかけぬことに、

サウナに行くまでの道も橋も工事中!

市バスも走っていないとのこと。

 

仕方ないので、タクシーで行こうとするも、

当たり前ながら大渋滞に突入。

やがて私たちは

にっちもさっちも行かなくなった車を降りて、

とぼとぼと徒歩で帰宅。

 

この時、すでに疲れが出ていたのだが、

ここでめげては、サウナファンの名がすたると、

今度は自転車をこいで行くことに。

だが、ちと計算違いだったのは、

工事中ゆえ、道がデコボコの極み、

そしてほこりだらけだったこと。

 

その結果、せっかくサウナで体を清めても、

家に帰ってみたら、

行く前以上にほこりだらけになっていた。

結局、そのほこりを落とすために水浴びをせねばならなくなり、

何のために行ったんだっけ?

てなことに。

 

しかもその日はかなり暑かったので、私は移動でばててしまい、

疲れによって、歯が浮きはじめる。

よくあることとはいえ、その日はどういうわけか

歯全体が浮かれまくり、痛いだけでなく、

まともにご飯も食べられない羽目に。

 

そこで、藁にもすがるつもりで翌日、

ウウーッとアスピリンに手を伸ばそうとしたら、

訪ねてきていたスラバの友達が、

「ちょっと待って、もっと効く薬がある」と言って、

ホニャララを買ってきてくれた。

 

そのこと自体はとてもありがたかったのだが、

その薬の飲み方を間違えたのか、

胃が大反乱を起こし始めてしまい、

激痛によってまる2日ほどのたうちまわる。

 

しかもその2日目は、

「絶対に提出せねばならない」原稿の締め切り日でもあったため、

歯痛に胃痛、さらに気圧の低下による頭痛に耐えながら、

痛みが弱まるたびに、必死でパソコンにかじりつく、

不屈のファイター、いやむしろ

仕事中毒のゾンビのような状態になった。

 

不運の連鎖ってよくあることだけれど、

ここまで続くと、もう笑うしかない。

 

笑う門には福きたる

これも冗談でなく、ほんと。

 

イルクーツク生活日記にて、農村訪問記

我が家周辺ではここずっと、

道路や配管の整備のため、かなりの騒音つきで、絶賛工事中。

そしてそのあおりで、

温水の供給も11日間にわたって絶賛停止中。

 

学生時代や北京時代は、

風呂なし、温水器なしの部屋に住んでいた期間も長かったのに、

加齢とともに軟弱になったのか、風呂が使えない日々はちとつらい。

大きな鍋で湯を沸かし、片手鍋で湯をすくって湯あみする毎日。

 

でもじつはこちらでは、こういうことはよくあることらしく、

全室暖房が入ったり切れたりする時期には、水が全く出なくなったりする。

今回は日数こそ長いけれど、いざとなれば水浴びもできる季節なので、

まだ楽な方。それに、

「熱いお風呂に入りたい」なんて、

洪水や地震などの天災で避難生活を送っている方々などと比べたら、

何とも甘っちょろい悩みだろう。

 

ところで、

集広舎のウェブサイトに連載中の「シベリア・イルクーツク生活日記」にて、

先日の旅について記してみました。

 

第4回農村訪問記

 

今回は写真も豊富ですので、ご興味があれば、ぜひご覧ください。

 

ちなみに、ワラビヨバ村(直訳するとすずめ村)では、

蚊やぶよの多さにも驚かされました。

目の周りが刺されまくった挙句、顔がお岩さんのようになり、

鏡を見て「これ、ほんとうに私?」と疑ってしまうほどに。

そんな非現実感は、

ファンタスティックなほど風景が美しい村での、

異世界にいるような超越感とあいまって、

「ここはどこ?私は誰?」

という、どこか実存的な問いさえ、引き起こしたのでした。

リンゴスターの誕生日とイワン・クパーラ

リンゴスターの80歳の誕生日だった7月7日は、

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火と水が友達になる伝統的な祭日、

イワン・クパーラでもあった。

 

イワン・クパーラとは、

スラブ正教が広まる以前の信仰に基づくお祭りで、

人々はこの日、花輪を編んだり、

川で沐浴をしたりする。

花輪は最後に願い事をしながら、川に流す。

お清めのために、焚火の上を飛び越えたりもするらしい。

 

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 もとは旧暦とはいえ、7月7日は日本や中国でも七夕で、大切な祭日。

そしてやっぱり、願い事をする日。

7月7日というのは、洋の東西を問わず、

人々が願ったり祈ったりしたくなる日なのだろうか。

 

何はともあれ、私が人生でたぶん

一番最初に覚えた外国のミュージシャンの名前がリンゴ。

 

そのリンゴの記念すべき日を、彼をこよなく愛する

ビートルズマニアたちと一緒に祝えるなんて、嬉しい限り。

スラバの絵が入ったポスターは祝祭感をぐっと高めてくれたし、

心のこもったライブ演奏のお陰で、

アンガラ川の川面をなでるそよ風まで、

どこか特別なものに。

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親愛なるリンゴ様。これからもぜひもっと長生きして、

ポジティブな気持ちを高める素敵なライブで、

暗いニュースばかりの世の中を明るくしてください。

ふくろうはいつ鳴くのか

数日、用事があって北方の農村に行っていました。

その前後、だいぶバタバタしていたため、

先々週土曜日放送分のNHKラジオ『マイあさ!』での出演について、

「聞き逃しサービス」も含め、お知らせする余裕がありませんでした。

ごめんなさい。

放送ではこちらの人々が、

新型コロナの流行によって外出が制限されている中でも、

ユーモアを楽しんだり、適度にストレスの発散をしたりしながら、

それぞれのペースで暮らしていることについて、語らせていただきました。

 

遅れてきた第一波が今、シベリアを襲っており、

数日前に訪れたばかりの村で、

感染者の急増が報じられたり、

直接・間接の知人が何人も感染するなど、

なかなか気の抜けないこの頃ですが、

イルクーツクでは、

今にいたっても、みんなのんびりしたもの。

「マスクつけてないなら近寄るな」と

隣の人に怒鳴っている人などを見たのは、ただの一回だけで、

生活の統制を通じて、全体主義的な雰囲気が醸し出されるなどといった

古い歴史の再現も目立っていません。

 

マスクの着用にしても、ソーシャル・ディスタンスにしても、

各自ができるだけ、できることをすればいい、といった感じなのは、

マイペースな私には、ありがたい限り。

ただ、

感染者が急増していることを無視してでも、

強引に投票を行わせたり、

経済の停滞を恐れて、

なぜ今?というこの時期に

お店などの再開にゴーサインを出したりと、

ちょっと、戸惑う動きもあったりする。

 

 

それはともかく、6月の記憶が遠くならないうちに、6月の話題をば。

こちらでは、夜更かしが好きな、夜型人間のことを、

сова(ふくろう)

と、とても分かりやすい比喩で呼ぶ。

 

学生時代の習慣から長らく抜けきれず、したがって

夜2時以前に寝ることはほとんどなかった私も、

「体が資本」

という言葉の意味がしみじみと分かるようになった最近は、

何とかかんとか

ふくろう生活を脱しつつあった。

 

 だが、6月のロシアでは、夜がとっても短い。

なので、夜型になるつもりがなくても、

夜型になってしまいやすい。

いや、そもそも「夜型」という言葉が成り立ちにくい、

と言った方が正しい。

だって、中旬にさしかかると、夜の10時でも、こんな感じ。

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この日は曇っていたから、空が隠れているけれど、雲の少ない日だったら、

もっと明るくて、夜11時でもこんな感じ。

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街灯が影響しているとはいえ、明るい!!

 

この後、やっと夜のとばりが完全に下りて、さあ、夜だと思っていたら、

3時間後くらいには、もう空が明るみ始める。

だから、ちょっと書いたり読んだりするのに夢中になったりすると、

窓を眺めたら、

すでにもう「翌朝」!

 

ふくろうは一体、いつ鳴けばいいのか。

これはもう、体も脳も、あるがままに任せるしかない。

満月のおおかみ、

夏至のふくろう。

 

 

 

 

 

個人、集団、そして個人 その2

結局、現地校のいろいろな授業に出ることで身についたのは、

たとえ先生や同級生の言っていることがあまり分からなくても、

ただじっと聞いていられる「忍耐力」だけだった。

だって、たとえ言っていることの10%、20%しか分からなくても、

聞くのを諦めたら、その10%や20%も分からないまま終わってしまう。

 

そういう忍耐力は、中国生活を経て、

今のロシア生活でも十分生きている気がする。

幸い、アメリカの学校の成績表は絶対評価ではなく、相対評価。

「以前よりは分かることも増えました」

ということで、私は何とか卒業、進級ができた。

 

ところで、当時、ものすごく衝撃を受けた、こんな事件がある。

自分の住む街からそこまで遠くない(と記憶している)ある町で、

中国人の青年がある家の住民に道を尋ねようとしたときのこと。

青年は住民の英語が聞き取れず、

住民が強く警戒していることに気づかぬまま、

その家に近寄ってしまったため、

銃を持ち出してきた住民に撃ち殺されてしまった、という。

住民はのちに、「日本人と間違えた」と語ったらしい。

 

当時のアメリカでは日本との貿易摩擦が深刻化していて、

街を走る車などにも、「真珠湾を忘れるな」という

スローガンなどが貼ってあったりしたので、

子供心にも、日本人がもろ手を挙げて歓迎されているとは、感じていなかった。

だがそれでも、当時のアメリカでは、

移民の集まった国らしい大らかさがまだ健在で、

言葉の壁こそ大きかったけれど、人種や国籍が理由で

あからさまに差別されていると感じたことはほとんどなかった。

私自身が子供だったことも大きいだろう。

学校では一応、移民向けの英語の補修授業を受けさせてもらえたし、

音楽の授業では先生が日本の「さくらさくら」の歌を取り上げてくれたりした。

 

好奇心満々の同級生から、

「中国語と日本語と朝鮮語の違いは?」

「中国や韓国と、文字はどう違うの?」

といった質問を繰り返し受けて、

答えるのに飽き飽きしていた、という思い出もある。

言い換えれば、当時のアメリカでは、

個別に日本人を根強く差別できるほど、

日本人についての知識は普及していなかった、ともいえる。 

 だって多くの人は、日本人と中国人と韓国人の差さえ、

ろくに分からなかったのだから。

 

だから、日本人だと誤解されたことによって中国人が殺された、

という事件について耳にしたとき、

私は何かが心に突き刺さったような怖さを覚えた。

表面上、ちゃんと共存しているように見えても、

世の中には外観から得た印象による「思い込み」だけで、

人を殺してしまうような人がいるのだ。

じつは日本人とアメリカ人の間には、

深くて見えない溝があるのかもしれない、と。

 

いったん、そう思い出すと、思い当たることはいくつか出てくる。

アメリカに来たばかりの頃、

毎日のように私をからかっていた男の子は、

私が日本人だからいじめていたのかもしれない。

小学校の時、仲の良かった男の子が、

急に私を避けるようになったのも、

やはり人種の壁からかもしれない。

 

もちろん、そう思う一方で、分かってもいた。

疑心暗鬼になったらきりがない。

悪意からそんな反応をする人など、

広いアメリカに住む、ほんの一部の人の中の、さらに一部の人だけなのだ、

もしいわれのない差別をされたとしても、

ちょっと運が悪かっただけなのだ、と。

 

でも、そんなちょっとした「不運」とは、

大人になり、21世紀に入り、住む国が変わってからも、

ちょくちょく出会った。

愛国主義的な中国人の一部が行う、あからさまな日本人差別については、

人種以外の問題がからんでくるので、ここでは省くが、

欧米人のほんの一部が行うちょっとした言動にも、

時折、ショックを受けた。

 

例えば、

アメリカのニューヨークと中国の北京で、

私は見知らぬ白人の背の高い男性から、

まったく同じいじわるをされたことがある。

 通りがかりに、私の頭に手のひらを置き、

おもむろにぐっと押し下げてくるのだ。

はっと気づいた時は、相手はもう、急ぎ足で逃げている。

これは私の背が相手より低いからこそできることで、

どう考えても、完全な弱い者いじめ。

子供ならともかく、大の大人がそんなことをするなんて、

と私はびっくりした。

 

だが、こういった出来事が、個人個人の「小さな体験」に留まれば、

「ああ、私の運が悪かったんだ。

偶然とはいえ、変な人に出会ってしまって」

ということで終わるのだろう。

 

だが、黒人全体への根強い差別が

広く存在する社会に生きていたフロイドさんは、

運が悪すぎて命まで奪われてしまった。

何分も顔を地面に押し付けられ、息ができないという苦しい状態を、

自ら想像してみて心の底からぞっとしたのは、私一人でないはずだ。

無数の人が、彼の死を招いた「底なしの悪意の闇」に、打ちのめされたことだろう。

 

そしてその瞬間、自分が受けたり目にしたりした、「小さな差別」のちりが、

フロイドさんの受けた「命をも奪う」差別と呼応し、

「私にもわかる、差別されるつらさは」

「親しい人が差別で苦しんでいるのを見て、つらかった」

などという共感のうねりとなって、

今回のムーブメントを後押ししたのに違いない。

 

こう言っては身も蓋もないが、

どんなにあがいても、人の心に闇の部分が存在する限り、

差別はなくならないことだろう。

自分が差別された時は確かにつらいけど、

私だって、無意識のうちに人を差別していたことに気づき、

後悔することがある。

気づいていればまだいい方で、

気づいていないこともあるかもしれない。

 

ただ、相手の権利を明らかに侵害するような差別を

されたり、したりしてしまったら、

やっぱり何らかの行動をとるべき。

個の体験を集団の体験と結び付ける試み、

つまり、個々人がそれぞれ「どんな風に差別されたか」という例を挙げ、

集団が味わってきた境遇の、ある種の「傾向」を実証的に示すことで、

説得力のある告発を行い、

今後の差別を最小限にとどめようと努力することは、

やはり大事だと思う。

 

だがかといって、被害者や彼らを支える人々が

集団化したさいに帯びてしまいがちな、ある種の暴力性や、

人を「白黒」で分けすぎてしまうことから生まれる負の影響には、

注意をしておいた方が良いし、

ただ「差別してはいけない」という「建前」だけで、

いろんな常識や性格の人を受け入れようとしても、

かえって無理や反動や誤解が生じるはず。

 

やはり基本は、互いの良さを心から認め合った者同士のつながりだ。

どの人種や文化圏にも、すごく気が合う人、どうしても合わない人、というのはいる。

あまりにも常識が異なる人と接する時は、

基本的な礼儀だけ大切にすればいいように思う。

 

多文化、多民族で、気候も自然も地域によってさまざまなロシア。

そんなロシアには、しばしば度肝を抜かれるくらい個性的な人がいて、

それぞれ、自分が常識だとしていることがある。

個々の性格や常識には、理解できるものも、できないものもあって、

生い立ちや環境や時代、信仰、運不運などとも密接にからみあっている。

 

その、とてつもない多様さに気づいてから、

私は改めて実感するようになった。

確かに文化圏などというくくりは分かりやすいけれど、

結局のところ、常識とか人の性質って、

人種はもちろん、性別や出身でも決まらない部分がとても大きい。

だから、大切なつきあいは、やっぱり個人でするもの。

うまが合うとか合わないといった、

子供の頃の感覚を大事にすれば十分だ、と。