イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

個人、集団、そして個人 その2

結局、現地校のいろいろな授業に出ることで身についたのは、

たとえ先生や同級生の言っていることがあまり分からなくても、

ただじっと聞いていられる「忍耐力」だけだった。

だって、たとえ言っていることの10%、20%しか分からなくても、

聞くのを諦めたら、その10%や20%も分からないまま終わってしまう。

 

そういう忍耐力は、中国生活を経て、

今のロシア生活でも十分生きている気がする。

幸い、アメリカの学校の成績表は絶対評価ではなく、相対評価。

「以前よりは分かることも増えました」

ということで、私は何とか卒業、進級ができた。

 

ところで、当時、ものすごく衝撃を受けた、こんな事件がある。

自分の住む街からそこまで遠くない(と記憶している)ある町で、

中国人の青年がある家の住民に道を尋ねようとしたときのこと。

青年は住民の英語が聞き取れず、

住民が強く警戒していることに気づかぬまま、

その家に近寄ってしまったため、

銃を持ち出してきた住民に撃ち殺されてしまった、という。

住民はのちに、「日本人と間違えた」と語ったらしい。

 

当時のアメリカでは日本との貿易摩擦が深刻化していて、

街を走る車などにも、「真珠湾を忘れるな」という

スローガンなどが貼ってあったりしたので、

子供心にも、日本人がもろ手を挙げて歓迎されているとは、感じていなかった。

だがそれでも、当時のアメリカでは、

移民の集まった国らしい大らかさがまだ健在で、

言葉の壁こそ大きかったけれど、人種や国籍が理由で

あからさまに差別されていると感じたことはほとんどなかった。

私自身が子供だったことも大きいだろう。

学校では一応、移民向けの英語の補修授業を受けさせてもらえたし、

音楽の授業では先生が日本の「さくらさくら」の歌を取り上げてくれたりした。

 

好奇心満々の同級生から、

「中国語と日本語と朝鮮語の違いは?」

「中国や韓国と、文字はどう違うの?」

といった質問を繰り返し受けて、

答えるのに飽き飽きしていた、という思い出もある。

言い換えれば、当時のアメリカでは、

個別に日本人を根強く差別できるほど、

日本人についての知識は普及していなかった、ともいえる。 

 だって多くの人は、日本人と中国人と韓国人の差さえ、

ろくに分からなかったのだから。

 

だから、日本人だと誤解されたことによって中国人が殺された、

という事件について耳にしたとき、

私は何かが心に突き刺さったような怖さを覚えた。

表面上、ちゃんと共存しているように見えても、

世の中には外観から得た印象による「思い込み」だけで、

人を殺してしまうような人がいるのだ。

じつは日本人とアメリカ人の間には、

深くて見えない溝があるのかもしれない、と。

 

いったん、そう思い出すと、思い当たることはいくつか出てくる。

アメリカに来たばかりの頃、

毎日のように私をからかっていた男の子は、

私が日本人だからいじめていたのかもしれない。

小学校の時、仲の良かった男の子が、

急に私を避けるようになったのも、

やはり人種の壁からかもしれない。

 

もちろん、そう思う一方で、分かってもいた。

疑心暗鬼になったらきりがない。

悪意からそんな反応をする人など、

広いアメリカに住む、ほんの一部の人の中の、さらに一部の人だけなのだ、

もしいわれのない差別をされたとしても、

ちょっと運が悪かっただけなのだ、と。

 

でも、そんなちょっとした「不運」とは、

大人になり、21世紀に入り、住む国が変わってからも、

ちょくちょく出会った。

愛国主義的な中国人の一部が行う、あからさまな日本人差別については、

人種以外の問題がからんでくるので、ここでは省くが、

欧米人のほんの一部が行うちょっとした言動にも、

時折、ショックを受けた。

 

例えば、

アメリカのニューヨークと中国の北京で、

私は見知らぬ白人の背の高い男性から、

まったく同じいじわるをされたことがある。

 通りがかりに、私の頭に手のひらを置き、

おもむろにぐっと押し下げてくるのだ。

はっと気づいた時は、相手はもう、急ぎ足で逃げている。

これは私の背が相手より低いからこそできることで、

どう考えても、完全な弱い者いじめ。

子供ならともかく、大の大人がそんなことをするなんて、

と私はびっくりした。

 

だが、こういった出来事が、個人個人の「小さな体験」に留まれば、

「ああ、私の運が悪かったんだ。

偶然とはいえ、変な人に出会ってしまって」

ということで終わるのだろう。

 

だが、黒人全体への根強い差別が

広く存在する社会に生きていたフロイドさんは、

運が悪すぎて命まで奪われてしまった。

何分も顔を地面に押し付けられ、息ができないという苦しい状態を、

自ら想像してみて心の底からぞっとしたのは、私一人でないはずだ。

無数の人が、彼の死を招いた「底なしの悪意の闇」に、打ちのめされたことだろう。

 

そしてその瞬間、自分が受けたり目にしたりした、「小さな差別」のちりが、

フロイドさんの受けた「命をも奪う」差別と呼応し、

「私にもわかる、差別されるつらさは」

「親しい人が差別で苦しんでいるのを見て、つらかった」

などという共感のうねりとなって、

今回のムーブメントを後押ししたのに違いない。

 

こう言っては身も蓋もないが、

どんなにあがいても、人の心に闇の部分が存在する限り、

差別はなくならないことだろう。

自分が差別された時は確かにつらいけど、

私だって、無意識のうちに人を差別していたことに気づき、

後悔することがある。

気づいていればまだいい方で、

気づいていないこともあるかもしれない。

 

ただ、相手の権利を明らかに侵害するような差別を

されたり、したりしてしまったら、

やっぱり何らかの行動をとるべき。

個の体験を集団の体験と結び付ける試み、

つまり、個々人がそれぞれ「どんな風に差別されたか」という例を挙げ、

集団が味わってきた境遇の、ある種の「傾向」を実証的に示すことで、

説得力のある告発を行い、

今後の差別を最小限にとどめようと努力することは、

やはり大事だと思う。

 

だがかといって、被害者や彼らを支える人々が

集団化したさいに帯びてしまいがちな、ある種の暴力性や、

人を「白黒」で分けすぎてしまうことから生まれる負の影響には、

注意をしておいた方が良いし、

ただ「差別してはいけない」という「建前」だけで、

いろんな常識や性格の人を受け入れようとしても、

かえって無理や反動や誤解が生じるはず。

 

やはり基本は、互いの良さを心から認め合った者同士のつながりだ。

どの人種や文化圏にも、すごく気が合う人、どうしても合わない人、というのはいる。

あまりにも常識が異なる人と接する時は、

基本的な礼儀だけ大切にすればいいように思う。

 

多文化、多民族で、気候も自然も地域によってさまざまなロシア。

そんなロシアには、しばしば度肝を抜かれるくらい個性的な人がいて、

それぞれ、自分が常識だとしていることがある。

個々の性格や常識には、理解できるものも、できないものもあって、

生い立ちや環境や時代、信仰、運不運などとも密接にからみあっている。

 

その、とてつもない多様さに気づいてから、

私は改めて実感するようになった。

確かに文化圏などというくくりは分かりやすいけれど、

結局のところ、常識とか人の性質って、

人種はもちろん、性別や出身でも決まらない部分がとても大きい。

だから、大切なつきあいは、やっぱり個人でするもの。

うまが合うとか合わないといった、

子供の頃の感覚を大事にすれば十分だ、と。