イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

多難の中のチャンス

展覧会やライブペインティングの手伝い、フォトショップの練習、

そして新しい自著の出版、さらにはグッズづくりや露店の出店。

ここ2か月でいろいろなことにチャレンジした。

本職何だったっけ、と言いたくなるくらい。

 

そもそも、物を書くだけでは物は書けない、と思っているので、

ロスをしたという気持ちはなく、むしろいろいろと世界が広がって嬉しい。

 

露店を出した時、サコッシュにおつりを入れて動き回りながらお客さんを相手にしていると、

いつもお世話になっていた中国の露店のおばさんの気分が味わえた。

スーツケースに売る物や腰掛を入れて移動した時なども、寅さん気取りになれた。

 

自由業の「自由」のニュアンスがこれまでと違う方向に広がっていくような感じは、

正直言って悪くない。

「フーテン」のイメージは、私の中では瘋癲より、風転だ。

風に追われるわら束のように、風の向くまま気の向くまま。

 

だが、そのほかの面では、ここ2か月は多難の時期だった。

まず、帰国早々、家に着いたとたん、

「あ!」と驚いた。

家が空き巣に入られていたのだ。

幸い家に貴重品はなく、何かあっても亡き母や家を出た家族が残したものばかりで、

そもそも何があるかも完全には把握できていなかったので、

いろいろと盗られたかもしれないし、

何も盗られなかったかもしれない、

という、実害は少ないが気味の悪い状態。

 

それから一か月ほど経ち、泥棒ショックもやっと薄れた頃、今度は

「ひえっ!」と冷や汗が出た。

パソコンに飲み物をこぼしてしまい、パソコンの調子が悪くなったのだ。

仕方なく買い替えるが、セッティングなどに何日もかかった。

 

そして2日前、さあ露店を出そうと意気込んでいた時、

「ぎゃ!」とよろけた。

長らく先が曲がっていたものの(その詳細はまたこんど)、

「何とか使えるはず」と、だましだまし無理やり使っていた杖が、

これから列車に乗ろうとしていた矢先にポキッと折れたのだ。

義足は使えるが、今はまだ肌が慣れていないのか、傷ができて治らないので、

しばらく杖を使っていたのだった。

 

杖は、先を伸ばせばまだ使えるかもしれないが、持ち歩くのも大変なので、

「移動に利用する金属のかたまり」という意味では自転車と同じだから大丈夫だろう、

と自転車置き場に置いておいたら、帰り際に持ち帰るのを忘れてしまった。

翌日、見に行ったら、鍵のかかったゴミ箱に入れられていて、涙のサヨナラ。

 

そして今日、また

「そんな~」とのけぞることが。

 

何の前触れもなく、携帯電話がいきなり壊れたのだ。

再起動どころか、電源を切ることもできず、同じ画面が続くばかり。

仕方なく、しばらくは夫の携帯に私のSIMカードを入れて使うことに。

 

それにしても、

こんなに次々と、物質的災難がふりかかり、

よりによって「無くてはぜったいに速攻で困る」ものばかりが壊れるなんて。

 

でも、人生、いつだって、いいこともあれば悪いこともある。

悪いことがこれくらいで済めば、まだましなのかも。

それに、パソコンも携帯も杖も、買い替えることで、

本当に必要な機能を選びなおす、という過程が生じ、暮らしの整理整頓ができる。

ここは、プラス思考でショックを打ち消すしかない。

 

もちろん、家の窓やドアや鍵をぜんぶ取り換えるのは無理なので、

泥棒はもう勘弁、だけど。