イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

魚食べてる場合じゃない

呑気なことを書いていると、ぜんぜん呑気じゃないことが起きる、

ということはこれまでも何度かあったが、これほどのことは初めて。

 

今日、私用で一日、外に出かけていた後、家に戻ると、

ロシアの友人から電話があり、ロシアでも、

戦時の動員が始まると知った。

「ロシアでも」というのは、

ウクライナでは侵攻が始まって以来、ずっとそうだったからだ。

 

聞くところでは、動員の対象となる第一候補は、兵役義務を2年から5年前に終えた者。

当面は職業軍人が対象のようだが、

対象が拡大されれば、

イルクーツクに住む大事な家族や親戚たちが、

書類上は候補になってしまう。

 

この戦争は、最初からつい最近まで、

知り合いが知らぬ間にじわじわと巻き込まれていて、不気味なものだったが、

これまでは、戦場の残酷さは、

あくまで画面越しに垣間見ることしかできなかったので、

どこか非現実的な、やはり遠いところで起きていること、といった、

無責任な錯覚が忍びこむ余地もあった。

それは友人の家族が戦死したと聞いた時、がらがらと崩れたものの、

戦死者が直接会ったことのない人だったりすると、

また厚顔にもじわじわと復活した。

 

そんな、いくらあれこれ見聞きしても、

まだ何となく掴み切れていなかった戦争が今日、

ただひたすらぞっとするものに変わった。

 

 

先日乗ったばかりのロシア―モンゴル間の列車、

私たちが乗った時は4人用のコンパートメントを2人で独占できたほど、

空きも目立っていた寝台列車が、

今は、後何日にもわたって満員なのだそうだ。

追い詰められた人たちの動きが具体的に伝わってきて、

悪夢の細部がさらにくっきりと見えてくる。

 

誰が想像しただろう、

あの、バイカル湖岸や果てしない草原をのんびりと長閑に走っていた列車が

避難列車になってしまうなんて。