イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

新型肺炎をめぐる雑感

今回のコロナウイルスによる新型肺炎。

患者さんたちの一日も早い回復を祈るのはもちろん、

人々の移動も早く自由になれば、と心から願わずにはいられない。

 

現在の状況はまた違っているのかもしれないが、

2003年のSARSの際に北京に住んでいた者としては、

今回のニュースを聞いて、フラッシュバックする思い出がたくさんある。

 

当時は雑誌を編集していたので、

読者などへの影響を考え、あまり語れなかったが、

何かの参考になるかもしれないので、

少し当時のことを回想してみたい。

 

SARS騒ぎが始まった頃は、オフィスに行くと、

不安でヒステリックになっている同僚が数人いて、

このまま出勤を強制するのなら辞めてやる、と息巻いていた。

冗談じゃない、と思っていたら、

その内の一人は本当に辞めてしまった。

 

こういうことにはわりと鈍い私も、しばらくすると、

憶測が生む不安、ヒステリー、感染の恐怖、制限の多い生活の息苦しさ、

そういったものが微妙な濃度で混じり合った空気に耐えられず、

後ろめたさを感じながら、

こっそり郊外の村を訪れたりした。

 

忘れがたいのは、当時、間借りしていた部屋の大家さんの話だ。

すぐ近所に住む実の母親を訪れた時のこと。

不安だったので、ぜひ顔でも見て安心したかったのに、

母親はドアを開けるのも怖がったので、

細々と開いた戸の隙間から様子を見ることしかできなかったという。

 

結局、リスクを恐れた勤め先の対応により、

私たちはこっそり北京を脱出し、

本社がある上海でしばらく過ごすことになった。

雑誌は、北京のコンテンツを上海で編集した。

 

引越しの際、上海の公安関係者らしき人たちが、

とても慎重に私たちの体温などを調べた。

その時の、自分たちが警戒されているという感覚からくる、

何とも言えない居心地の悪さは、今もよく覚えている。

 

結局、直接の知り合いに感染者は出ず、

数か月後には通常の生活に戻ったが、

移動が自由になった時代の社会の、思いがけない脆さ、

人と人の間に膜ができてしまったような感じは、

極限に近い、ああいう状況でないとなかなか体験できないだろう。

 

場合によっては、信頼していた人との関係、

ひいては実の親子の間にさえ、

埋めがたい距離ができてしまうのだ。

 

当時しみじみ感じたのは、十分な警戒は必要だが、

過度の不安はむしろ害になる、ということ。

不安は自らの精神を蝕むだけでなく、他の人にも感染する。

 

さいわい、人は経験から学ぶことができる。

非力な私も、当時のことを思い出しながら、

こういう時代に大切なことは何か、

もう一度じっくりと考えてみようと思う。