イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

古鎮・老街 補記3 聖なる古樹の村-北京密雲編

 

 このたび亜紀書房より出版された拙著『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』の補記のつづきです。

伝説に守られた聖木

 北京で最古の樹齢を誇る木があると聞き、ある日、密雲県の新城子という村を訪ねた。北京と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは大都市のイメージ。だが実は、行政上の区分による北京市は東京都の約7.7倍の面積を有し、そのほとんどは農村だ。都心の市街地をぬけ、山や畑に囲まれた道を高速バスで走ること3時間。貫禄たっぷりのコノテガシワの木は、村里からほど近い道路の脇で、通行人を見下ろすように根を張っていた。

 木のまたが18本、太さは「9人が腕で抱えるほど」と形容されるこのコノテガシワは、横にくねるように広がる枝が、年月の重みにも屈しない力強さをたたえている。古来、「神樹」として珍重されてきたが、近年、市の園林局が測定を行ってみると、まさに開けてびっくり玉手箱。その樹齢が「三千年」に及ぶことが証明され、地元民たちも「そこまで古かったとは!」と改めて驚いたという。

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 この木をめぐる伝説を、ある村人が語ってくれた。その昔、南方から来た旅人が、この木の枝のこぶを見て、中に霊芝やチョウセンニンジンなどの宝があると考えた。そこでこぶを2つ取ると、袋に入れ、こっそり宿に持ち帰った。だが何も知らない宿の主人はそれをただの木ぎれと思い込み、かまどを焚く薪にしてしまう。燃えたこぶは2羽のハトへと変わり、空へと飛び立った。

 この伝説にはいくつかのバージョンがあるようだが、その価値を知らないと、どんなに貴重なものでもたやすく失われてしまう、という趣旨は共通している。

 かつては木の傍らにあったとされる唐代創建の関帝廟も、今はすでに姿を消して久しく、独りたたずむ古樹はどこか寂しげだ。だが、村の宝を大切にするよう戒めるハトの伝説は、今後もこの木を守り続けていくことだろう。

おおらかに村人を迎える大樹

 同じく北京郊外の上峪村にも、有名な古樹がある。漢代に植えられたとされる、樹齢二千年以上のエンジュで、目下、北京最古のエンジュとされている。明代に造営された村の城壁の入り口に根を張っていて、まさに「まず木があり、その後で村ができた」という言葉どおりだ。

 古さゆえに神通力が宿るとされるのは他の多くの古樹と同じで、村人たちの話では、老人や子どもが病に悩んだり、夭折する子が多かったりすると、この木を手で抱えて祈る習慣があるという。願いがかなうと、翌年赤い布を木の枝に結ぶのが習わしだ。

 村人の1人に、「ご利益はありますか」と尋ねると、「それは何とも言えないが、この木を「乾媽(ガンマー、義理の母親の意)とみなす人は多いよ」との答えが返ってきた。確かに城門前で村に帰る人々を温かく見守るそのようすは、子の帰りを待つ母親のようだ。村から町に出稼ぎに出た人々の多くは、帰郷のたび、この木を見て安らぎを覚えてきたことだろう。

 毎年4月18日には木の下で焼香が行われる。かつては子を授ける神を祀った「娘娘廟」の祭祀に合わせての焼香だったが、人の営みより自然の営みの方がスパンが長いことを象徴するかのように、こちらでも現在、「娘娘廟」は建物を残すのみだ。

 村人たちのさまざまな願いや思い、そして宗教上の伝統をも担うエンジュの古木。そのゆったりと広がる枝からは、まさに母なる樹ならではの、大地に根ざした包容力が感じられた。

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