イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

古鎮・老街 補記1 2005年の香港を追憶

 18歳の頃に東京の街中をあてもなく歩いた頃から始まって、古い街並みのなかをぶらぶらと歩くことは、すでに私にとっては人生の不可欠な一部となっている。

 なので、以前17年近く住んだ中国についても、この秋に上梓した『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)には記しきれず、はみ出してしまった旅行の記録がいくつもある。そういった旅行記のいくつかを、これからアップしていきたい。

 今、香港がかなり心痛む状況になっているので、まずは2005年初頭に香港の街中を歩いた時の記録から。原稿は当時『スーパーシティ北京』に投稿したものに、手を加えたものだ。

 2005年前後の香港は、大陸への返還からあまり年数が経っていなかったので、返還前の香港の雰囲気がまだけっこう残っていた。小さな店やホテルなどが集まる重慶マンションなども、今よりずっと怪しい雰囲気で満ちていたのを、懐かしく(?)思い出す。

 その後も香港は何回か訪れたので、街がたどった変化についても、ある程度は把握しているが、今現在の情況はさらにまた、だいぶ変わっていることだろう。

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冬は南国で市場めぐり

 新しい土地に一歩足を踏み入れたとき、まず行ってみたくなる場所がある。それは「市場(いちば)」だ。バザール的喧騒の向こうに浮かび上がる人々の生活。地元の人が毎日何を求め、消費しているかが見えてきたとき、異郷の街はぐっと身近になり、生き生きと息づきはじめる。

露店で埋め尽くされる路地

 買い物天国香港を代表する野外市場で、オープンで気軽な雰囲気が魅力の女人街は、地下鉄の旺角駅からすぐの所にある。基本的に女性の衣服やアクセサリーなどのおしゃれグッズを扱っているが、店頭を堂々と飾る変態的にユニークな下着には絶句する。買うか買わないかはその人次第だが、見るだけならもちろんタダだ。

 一方、縁日的な雰囲気と売り物の怪しさが面白い廟街(男人街)では、紳士用品や機械モノ、性生活用品などが並ぶ。夜市なので、明るいうちに天后廟や近くの玉器街を見てから覗いてもいい。ガジュマルの古樹が茂る天后廟前は、歩き疲れた時の休憩に最適だ。 

広東料理のパワーを食材から感じる

 女人街をずっと北に歩くと、花園街街市がある。「街市」と名付けられていても、実際は屋内市場だが、ここの1階と2階には、乾物、穀物、生鮮食品から生きた鶏まで、香港人の胃に入るありとあらゆる食材が並ぶ。どこにどんな食材があるかを示す市場のプレートは簡潔なイラストのみ。多民族、多国籍の人が集う土地柄を、こんなところからも感じることができる。

 日本からはもちろん、北方中国から訪れた人にとっても、市場に並ぶ食材の多さは驚異的だ。とくに海鮮やその乾物の豊富さ、そしてさまざまな品種の生きた鶏や鳩がネームプレートつきの檻に入った売り場は壮観そのもの。

趣味の世界で一服

 もちろん、グルメで名高い香港の人々にとっても、鳥や魚は食用だけでなく、観賞するものでもある。かつては、この地における、小動物を養い愛でる文化の奥深さを感じ取れる場所が、街中から徒歩圏内にあった。花園街の北にある金魚街や、そこから歩いてすぐの園圃街雀鳥花園だ。小鳥たちのにぎやかな鳴き声に迎えられる雀鳥花園では、鳥好きたちがのんびりおしゃべりをしていて、市場なのに座ってくつろげてしまう雰囲気だった。ここでは不殺生思想に基づき、捕らえられた生き物を自然界に放す仏教儀式である「放生会」用の大量の雀の予約受付もしていた。その様子を見て、私の脳裏には当時、おせっかいな疑問が浮かんだものだ。その雀は一体どこからか来るのだろう?食用に買った業者を説得するのだろうか?まさか「放生会」用に捕まえたのでは?と。

 よく見ると、鳥かごたちの合間で、野生の雀たちが我が物顔にこぼれた餌をつついていた。籠の中の鳥たちに遠慮する様子はてんで見えず、ここなら鳥好きばかりだと分かっているのか、人さえもあまり恐れぬ様子だ。因みに、付近の路上で不意に鉄棒を見つけたりもしたが、それらはもちろん、逆上がりで遊ぶためではなく、鳥かごを掛けるためのものだった。

 心から惜しまれてならないのは、数年後に再び訪れると、あれほど賑やかだった雀鳥花園が姿を消していたことだ。

香港ガーデニング文化

 当時、雀鳥花園の前に広がっていたのが花市場、花墟だ。当時は北京から訪れたので、冬なのに花が元気で種類も豊富な様子が強く印象に残った。1、2月の平均気温でさえ15℃もあるのだから、冬にひまわりが堂々と店頭を飾れてしまう。道端には、欧米モノのガーデニング用品や小物を売る店もあり、一歩入るとすべてがヨーロピアン・ワールド。イギリスのガーデニング文化が香港でしっかりと根をはっていることを、強く感じさせた。