イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

古鎮・老街 補記2 広州の漢方市場

  秋らしい日が続いたイルクーツクだが、さすがに10月も半ばを過ぎると、だいぶ寒くなってきた。熱々のスープがおいしくなる季節には、絶品スープが家庭の食卓に並ぶ、広州の話題をば。

(2005年と2014年に広州の漢方市場を訪れた時の印象から)

生活に根差した薬材たち

 12月のある日に、広州のとある家庭を訪れた時のこと。じっくりと煮込んだ手製のスープを振る舞われる幸運に恵まれた。レシピは、じめっとして寒いその日の天気や、お産を終えたばかりという娘さんの体調に合わせたものだという。とても手が込んでいたが、その家では頻繁に作っているらしく、作り方を聞くと、いろんな薬材が次から次へと出てきた。薬材のもつ効用に関する蘊蓄も実に豊富で、さすが広州っ子、と舌を巻く。食文化が有名な広州だが、実は広州は古くから名医が輩出し、医薬の技術が発達してきた地でもある。

 実はかつて私は、香港で現地のスープに魅了され、広東料理のレシピを探したことがある。だが使い慣れない香辛料の種類の多さに、尻込みするだけで終わった。その日私は、そういった複雑なレシピが、決してレストランのシェフのためにあるのではなく、一般の家庭料理に深く根差していることを、悟った。そして、人で賑わっていた広州の調味料や薬材の市場を思い出し、あの賑わいはこういった家庭たちに支えられているのだ、と実感した。

 総じて、食材の豊富な中国南方の食料品市場は眺めているだけでも楽しいが、やはり圧巻は漢方薬の市場だ。そもそも、以前租界のあった沙面一帯は美しい洋館などもたくさん残っていて見所が多く、市場も十分に見ごたえがある。その代表格である「清平中薬材専業市場」、通称「中薬街」では、ありとあらゆる種類の漢方薬材が袋にたっぷり入って並ぶ。うずたかく積まれたさまざまな生薬が、目と鼻を絶え間なく刺激してくるので、ただ市場を歩くだけでも、病気が治りそうな気がするほどだ。

 品の数々をよく見てみると、リュウガン、サンザシ、ナツメの実、アーモンドなど、薬材でありながら、普通の食品でもあるものも多い。生姜やニンニクもある。ふと、日本独特の「薬味」という言葉を思い出した。今は和食に香りや辛味をつける食材一般を指すが、元々は薬を処方する時に医者が使った言葉に由来するという。

 もちろん生きた薬材もある。冷やかし客が多いのか、広東語の通じぬ旅行者には売り子はなかなか冷たい。もっとも、さそりや名も知れない昆虫などはちょっと生々しすぎるので、じっくり眺めないほうがかえって気楽に漢方薬が飲めるかもしれない。

 かつては、市場から北の上下九街方面へ向かうと、達磨が設けた庵を基に建てられた華林禅寺の門前市があり、線香や漢方薬の香りにつつまれながらそぞろ歩けば、いつの間にか全身が古い歴史の香りにいぶされていくようだった。

 そもそも門前市は「市」の原点を感じさせるが、達磨ゆかりの古刹となれば、その渋さも格別だ。今も残っているだろうか。ぜひ残っていて欲しい。

 

(雑誌「スーパーシティ北京」とNHKラジオ中国語講座のテキストに投稿した記事を合成し、加筆)