先回ご紹介した『女性たちのいる美術史』ですが、
手にした方からけっこう「びっくりした!」との声が。
その一部は恐らく、私が以前関わった書籍と比べ、
今回の書籍がとてもカラフルな上、イラストがとても豊富で
時にマンガ風のレイアウト
というところから来ているのでしょう。
ただ、外観こそ華やかですが、
内容についてはけっこう考えさせられる場面も多いです。
女性がクリエイティブな活動をする際の難しさは、
美術に限ったことではありませんが、
美術の場合はやはり、文学などと比べると、
表現技術の習得や材料の購入、創作スペースの確保、
そしてパトロンや評価の獲得などにおいて、
ぐっとハードルが高まります。
そもそも、美術を職業にすること自体、
材料や学費などでコストがかかるものなのに、
大型の絵画や彫刻など手がけるとなれば、なおさら大変。
作品の保管も、美術関係の場合は悩ましい問題です。
以前、彫刻を手掛けているアーティストの知り合いから、
「文学関係はいいね。一生の作品が一枚のCDに収められるんだから」
と心底羨ましそうに言われたことがあります。
確かに!
出版された本や参考にした資料などは確かにかさばりますが、それでも
自室の半分を占めるような彫刻よりはずっと管理が楽。
そう考えると、映画はさらにコンパクトですね。
どんなに莫大な費用と長い時間と大勢の人の手を経たものでも、
作品自体はDVD一枚に収まるのですから。
話が脱線しましたが、もちろん、その他にも各分野で共通する、
いろんな困難があります。
恋人や家族、パトロンなどとの関係も、時に創作に大きな影響を与えます。
でもそれなのに、私の場合、本書を読んだ後の気分はなぜか爽やかでした。
堅持し、突っ走り、貫き、何かを成し遂げた人々の存在に
勇気づけられるからでしょうか。
陰にどんな苦難があっても、
妥協せずに完成された素晴らしい作品の存在が、
すべてを浄化し、贖うからでしょうか。
短篇の名手、チェーホフの作品で私が一番好きなのは、
「ロスチャイルドのバイオリン」です。
主人公は、ケチでいつも不機嫌な棺桶屋の男、ヤーコフ。
損得勘定ばかりしているヤーコフは、仕事が儲からないことにいつも不満ばかり。
その上、気に入らないユダヤ人のフルート吹き、
ロスチャイルドと衝突ばかりしています。
しかし、彼には芸術家の一面もあり、バイオリンが得意なのです。
そんなある日、それまで彼に尽くしてくれていた妻が亡くなります。
その時初めてヤーコフは、自分が長い結婚生活の間、
いかに妻を労わってこなかったかに思い至るのです。
自分がいかに人生を無駄にしたかも。
しかし時すでに遅し。そんなある日、
彼がバイオリンで奏でた曲が、ロスチャイルドを感動させます。
やがて自分にも死期が近づくと、ヤーコフは
ロスチャイルドに自分のバイオリンを託すことにします。
彼の死後、ロスチャイルドの手に渡ったバイオリンは、
ヤーコフが奏でたのと同じうら悲しい音色で、人々を感動させます。
闇や汚濁や空虚さや後悔や罪の意識などを抱えた、
愚かさの権化のような人間が、
かえって至上の芸術を生み出すことがある、というパラドックスに、
チェーホフは気づいていたのだと思います。
確かに、芸術の巨匠たちの中にも、
人間的には大きな問題を抱えていたように見える人は少なくありません。
芸術家たちの苦悩や孤独が、その対極のものを求める原動力になったのだとしたら、
芸術表現とは、内側に大きなパラドックスを抱えているものなのでしょう。
芸術とは本当に不思議なものです。