一昨日、たまたま用事で町の中心部に立つレーニン像のそばを通りかかったら、
ピオネールの入隊式をやっていた。
ちゃんとライブのドラムもあったりして、
スラバが拙著『シベリアのビートルズ』の表紙のために描いた絵の
オリジナル&リアル版を見るようだった。
もちろん、共産党が率いたソ連はシベリアにおいても、過去の国だ。
だから、ピオネールの儀式も、
すでにそんなに人々の注目を集める儀式ではなく、
スラバでさえ「30年ぶりくらいに見た!」と驚いていたほど。
入隊する子供の数や規模も、ソ連の頃とは比べ物にならないらしい。
それでも私は、自分の意志で入る「政治的組織」の入隊式に、
小学生ぐらいの子供たちがずらりと並んでいるのを目にして、ちょっと驚いた。
もちろん、入隊には親や祖父母の影響もあったりするのだろうけれど。
しかも、子供たちの晴れやかな顔には、
大人の仲間入りをするかのような、得意げな表情が浮かんでいる。
気分的には、ハーフ成人式を迎える日本の子供などと近いのかもしれない。
ちなみに、ピオネールの赤いスカーフについては、
よくスラバから聞く冗談がある。
昔、子供同士で遊んでいる時、
誰かが相手の赤いスカーフを手に執って、
「党を愛しているか?」と問い、
もし相手が「愛している」と答えると、スカーフを手にした者は、
「もっと力強く愛しなさい!」と言いながら、
スカーフで首を締め上げたのだそうだ。
子供ならではの残酷さに満ちているが、
歴史をある程度知る者からすると、
何だかただ笑って流せない、ブラックな要素もある。
以前、北京の小学校で
ピオネールの中国版「少年先鋒隊」が率いる儀式を見た時、
「党のために命をささげる」なんていう言葉を低学年の子供が言っていて、
ちょっとぎょっとしたが、
さすがにこの儀式では耳にしなかった。
ただ応援のためにはためいていた旗に、
「戦争の子供たち」という言葉が入っていて、やはり肝が冷えた。
ウクライナから被災した子供たちを受け入れた時のものだろうか。
ちなみに、キーロフ広場では、ドンバスの被災児の写真も並んでいた。
里親を募るためだろうが、実の親の存在をきちんと確かめることなく、
子供を遠くへと連れ去る行為について、戦争犯罪だ
と非難されたことは日本でも有名だ。
だがもちろん、連れ去った側にも自分たちなりの理屈があるわけで、
看板を見ると、
「いつもお母さんがいますように、いつも私がいますように」
と、何だか泣きたくなる言葉が書いてあった。
別の一角では、戦勝記念日のためだろうが、
スターリンの言葉を刻んだこのような看板も。
要約すれば、本物の自由とは、搾取や抑圧がなく、貧困もなく、
明日、仕事や食べ物や住宅を失う恐怖とも無縁であること、とある。
もちろん、こういった政治的要素が強いパネルや看板は、
そこまで頻繁に目にするわけではないが、
目に入るとやはり、どきっとする。
ほんとうは、看板で可視化するまでもなく、
街の彫刻、ベンチ、並木、町並み、街の景気などなどのすべてに
「政治」が関わっていて、
つねにそれについて意識しておかねばならないはずなのだけれど。