イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

ピオネール入隊式

一昨日、たまたま用事で町の中心部に立つレーニン像のそばを通りかかったら、

ピオネールの入隊式をやっていた。

ちゃんとライブのドラムもあったりして、

スラバが拙著『シベリアのビートルズ』の表紙のために描いた絵の

オリジナル&リアル版を見るようだった。

もちろん、共産党が率いたソ連はシベリアにおいても、過去の国だ。

だから、ピオネールの儀式も、

すでにそんなに人々の注目を集める儀式ではなく、

スラバでさえ「30年ぶりくらいに見た!」と驚いていたほど。

入隊する子供の数や規模も、ソ連の頃とは比べ物にならないらしい。

 

それでも私は、自分の意志で入る「政治的組織」の入隊式に、

小学生ぐらいの子供たちがずらりと並んでいるのを目にして、ちょっと驚いた。

もちろん、入隊には親や祖父母の影響もあったりするのだろうけれど。

 

しかも、子供たちの晴れやかな顔には、

大人の仲間入りをするかのような、得意げな表情が浮かんでいる。

気分的には、ハーフ成人式を迎える日本の子供などと近いのかもしれない。

 

ちなみに、ピオネールの赤いスカーフについては、

よくスラバから聞く冗談がある。

昔、子供同士で遊んでいる時、

誰かが相手の赤いスカーフを手に執って、

「党を愛しているか?」と問い、

もし相手が「愛している」と答えると、スカーフを手にした者は、

「もっと力強く愛しなさい!」と言いながら、

スカーフで首を締め上げたのだそうだ。

子供ならではの残酷さに満ちているが、

歴史をある程度知る者からすると、

何だかただ笑って流せない、ブラックな要素もある。

 

以前、北京の小学校で

ピオネールの中国版「少年先鋒隊」が率いる儀式を見た時、

「党のために命をささげる」なんていう言葉を低学年の子供が言っていて、

ちょっとぎょっとしたが、

さすがにこの儀式では耳にしなかった。

ただ応援のためにはためいていた旗に、

「戦争の子供たち」という言葉が入っていて、やはり肝が冷えた。

ウクライナから被災した子供たちを受け入れた時のものだろうか。

 

ちなみに、キーロフ広場では、ドンバスの被災児の写真も並んでいた。

里親を募るためだろう、

実の親の存在をきちんと確かめることなく、

子供を遠くへと連れ去る行為について、戦争犯罪だ

と非難されたことは日本でも有名だ。

だがもちろん、連れ去った側にも自分たちなりの理屈があるわけで、

看板を見ると、

「いつもお母さんがいますように、いつも私がいますように」

と、何だか泣きたくなる言葉が書いてあった。

 

別の一角では、戦勝記念日のためだろうが、

スターリンの言葉を刻んだこのような看板も。

要約すれば、本物の自由とは、搾取や抑圧がなく、貧困もなく、

明日、仕事や食べ物や住宅を失う恐怖とも無縁であること、とある。

 

もちろん、こういった政治的要素が強いパネルや看板は、

そこまで頻繁に目にするわけではないが、

目に入るとやはり、どきっとする。

 

ほんとうは、看板で可視化するまでもなく、

街の彫刻、ベンチ、並木、町並み、街の景気などなどのすべてに

「政治」が関わっていて、

つねにそれについて意識しておかねばならないはずなのだけれど。