イルクーツクの風の音 

ロシアの中部、シベリアの南、ヨーロッパ文化の辺境、アジアの片隅、バイカル湖の西にある街を拠点にしている物書きの雑記帖                  written by Asami Tada ©2020多田麻美

たかが名前されど名前

人とは不思議な生き物で、人生、

好きなことだけ覚えておけばいいのに、

嫌いなこともよく覚えていてしまう。

昔住んでいたミシガンのこともしかり。

 

例えば、名前。

当時、仲良かった友達の名前は、もちろん憶えているが、

いじめっ子の名前もしっかり憶えていたりする。

 

先日、ドイツの首相が変わった時、ショルツ??そういえば……

と思い出したのが、いじめっ子の名前がフィリップ・ショルツだったこと。

 

ミシガンで現地の学校に通っていた頃、毎朝学校に着いた子供は、

鉄のドアの前に並んで学校の建物の門が開くのを待たねばならなかったのだが、

その時間を狙って、フィリップは毎朝、飽きることなくからかってきたのだった。

 

渡米したばかりの頃は、英語がまったく分からなかったので、

言われていることも分からず、無視しやすかったのだが、

まだのどかな時代だったこともあり、からかわれている時、

周りのクラスメートがフィリップに、

「やめなさいよ」

と文句を言ってくれたりした。

 

それで良くも悪しくも、

自分がひどいことを言われているのはばっちり分かった。

 

言うまでもなく、英語が分かるようになるにつれ、

うんざり度は増していった。

口でからかうだけで、

暴力などを受けたわけではないので、

トラウマになるほどではなかったのだけれど。

 

時が経ち、先日、実家の部屋の整理をしていた時、

当時のクラスメートの卒業写真が偶然見つかった。

「懐かし~」と思いつつめくり、

仲良しの顔を一つ一つ確認した後で、つい、

「あのフィリップ」はどこだ?

と探してしまう。

すると、見覚えのある彼の顔を見つけた。

だがその写真の下には、

フィル・コリンズ

と書いてあった。

 

ん??フィル・コリンズ?

言わずと知れた、元ジェネシスの!!

 

そうなのだ。

彼は出会った時と卒業時で名前が変わっていたのだった。

フィルはフィリップの省略形だからいいとして、

名字も変わっているのは、

恐らく両親が離婚したからだろう。

そうか、彼自身も当時、いろいろ大変だったのかもしれないな、としんみり。

 

それにしても、私はフィル・コリンズにいじめられてたのか~

そう思うと、ふと可笑しくなって、すべて許せる気がした。

 

たかが名前、されど名前。

当時は、フィリップという名前もショルツという名字も大嫌いだったのに、

名前が変わった、しかも自分の嫌いではないミュージシャン名に、となると、

なんか肩透かしを食らい、すべて水に流せそうになる。

いじめた人間そのものが変わるわけでもないのに。

 

やっぱり人間って不思議な生き物だ……