少し前の事になってしまったが、
3月上旬に、かねてからの願いが叶い、
冬のバイカル湖の上に立つことができた。
世界最深の湖の上を自分の足で歩くなんて、
チベットでチョモランマの頂を見上げた時くらいの感動だ。
もちろんチベットで、ヒマラヤ登山用のベースキャンプまでしか行けなかったように、
バイカル湖でも、湖のもっとも深い場所の上に立てたわけではないのだけれど。
ベースキャンプからチョモランマの頂を観た時、
そもそもベースキャンプ自体が
標高5200メートルというかなり高い場所にあるので、
チョモランマの頂が意外と近く見えることに驚いた。
ベースキャンプから山頂を見上げると、
標高8848メートルのチョモランマも、
富士山をふもとから見上げるような感じなのだ。
登ろうと思えば登れるんじゃないか、と思ってしまうほど、
その頂は近く見えた。
ほんとうはそんなはずないのに。
バイカル湖の広くて深い湖水も、
いざその上を歩いてみると、途方もなくツルツルしていて危なっかしいものの、
何だかふとそのままどこまでも歩いて行けそうな気がした。
もちろん、こちらも想像の世界での話だ。
寒い季節だと、普通の装備では凍えるだろうし、
暖かくなった頃だと、氷が薄くて危険だ。
実際、私が行った時も、
アンガラ川の河口のあたりは、すでに氷が溶けていた。
ピークは時に、たどりつくのが簡単そうに見えたりする。
でも、実際はピークが見えてからがなかなかたいへん。
そういうことって、人生ではよくある。
それにしても、広々とした凍った湖面と遠方の山を見渡していると、
南極にいるような錯覚に襲われる。
もちろん、南極はおろか北極にさえ行ったことはないのだが、
『南極物語』から映画館体験が始まった映画ファンとしては、
氷のかたまりをばらまいて、ペンギンを連れてきたら、
南極を舞台にした映画のロケに使えるんじゃないか
と、つい勝手に盛り上がってしまった。
黒澤明の名作、『デルス・ウザーラ』では、
主人公たちが川面で道に迷った時、
吹雪の中、必死で藁をかき集めて夜を明かすが、
バイカルの湖面には本当に文字通り、氷しかない。
つまり、タローとジローのサバイバルを追体験するのに、
ここほどうってつけの場所はないわけだ。
さらに興味がつきないのは、見えそうで見えない湖の下。
バイカル湖版ネッシーの伝説は気になるし、
財宝が沈んでいるという話も聞く。
脚本家のヴァンピーロフなど、
バイカル湖で溺死している人も多いことを思うと
幽霊さんもいろいろと、いらっしゃるかも。
世界最古の湖というのが本当なら、霊のバラエティも豊富なはず。
でも、ダイビングして確かめたいかと言うと、いや、
謎は謎のままが面白いんじゃ?と思ってしまう。
寒がりの言い訳というのも多分にあるが、それだけじゃない。
未知の世界、空想を誘う、手つかずの世界が、
地球上にまだまだたくさんあっていいはずだから。
もちろん、バイカル湖の水質の悪化が問題視されている昨今は、
「そのままに」という願いさえ、
ぜいたくで独りよがりなものではあるのだけれど。